レオポルドが亡くなるまでに、200万〜1200万のコンゴ人が殺された(これほど多くの人の殺害を言い表すために、アフリカ系アメリカ人の調査報道記者ジョージ・ワシントン・ウィリアムズは、「人道に対する罪」という言葉を造った)。
死亡者の数は壊滅的だった。だが、利益は驚くほど厖大だった。『レオポルド王の亡霊』に詳述されている控え目な推定によれば、レオポルドは今日の価値にして11億ドルに相当する金額を自らの懐に収めた。
その一部は、ベルギーに壮大な記念建造物を建てるのに使われた。それらの建造物には、今日も依然として観光客が群がっている。彼らは、史上屈指の残虐行為によって調達した資金で建てられた建物が落とす影の中に、そうとは知らずに立っているのだ。
レオポルドの残虐行為は遠い過去の話だなどと誤解するといけないのでつけ加えておくが、彼の葬儀のときに赤ん坊だった人が、今なお数人存命している。
制度によって人間は大きく変わる
このように、1人の人間が2つの制度に君臨した。レオポルドは、ベルギーでは責任を問われ、監視されていた。生命には価値があった。一方、コンゴ自由国では、王は誰に咎められることもなく専制政治を行い、彼の残虐行為は隠蔽された。人の生命ではなくゴムに価値があった。
政治学者のブルース・ブエノ・デ・メスキータが主張しているように、これは世界最悪の自然実験であり、人種差別主義の極悪人が、ある制度では抑止され、別の制度では束縛を解かれうることを示している。
もっとも、歴史は正反対の筋書きで書かれることもある。真っ当な人間が権力のある地位に就かされ、ひどい制度を監督させられたらどうなるのか?
(翻訳:柴田裕之)
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