コンゴ自由国でのレオポルド国王の野蛮な行為の大半は、「公安軍」と呼ばれるベルギー人兵士と強欲な傭兵の寄せ集めの武装集団によって行われた。
彼らは、地元の村人たちを強制してゴムを採取させた。それは、耐え難い痛みを伴う作業だった。ゴムの木の乳液が皮膚の広い範囲に付着し、それが徐々に固まってしまうので、剝ぎ取らなければならなかった。
抵抗する者は誰もが厳しく罰せられた。レオポルドの武装兵士は、捕まえられる女性はすべて捕まえて人質にした。村の男性たちは、要求されただけの量のゴムを村長がベルギー人に差し出さなければ返さない、と言われた。男性たちが従わないと、女性たちが殺されるのだった。
男性たちが愛する者たちを救うためにジャングルの中に入っていくと、公安軍の兵士たちは、特に魅力的と思う女性たちをレイプした。割り当てられた量をようやく採取しおえると、女性たちは「1人当たりヤギ2頭」で村人たちに売り戻された。
もし村人たちが抵抗を続けると、村の大人も子どもも全員虐殺された。近隣の村への見せしめだった。ベルギーの役人たちは、兵士が命令を実行したことを確認するために証拠を求めた。それぞれの死体の右手を持ち帰るというのが、証明の標準的な方法だった。
ときには、退屈した兵士たちがコンゴ人を射撃訓練の的にした。公安軍のある兵士は、自分の花壇を20の人間の首で飾ったという。
見世物にされたコンゴ人たち
宗主国のベルギーでは、「エキゾティックな」コンゴに対する関心が高まった。アダム・ホックシールドが説明しているように、レオポルドはブリュッセルで開かれた1897年の万国博覧会のために、コンゴ人を「輸入」して展示した。王は、267人の大人と子どもを見世物にして国民を楽しませた。
コンゴの人々は、「文明化」されるさまざまな段階を示しているという触れ込みで新設した、紛(まが)いものの村々で、暮らしぶりを見せることを強いられた。来場者は、囚われの身の「村人たち」がそれまで味わったこともないベルギーのお菓子を与えては面白がった。
コンゴ人のうちには、糖分の取り過ぎで気分が悪くなりはじめる者も出た。そこで、そのような行為をやめさせるために、展示者側は次のような言葉を掲示した。「この黒人たちには、組織委員会が餌をやっています」。「建築王」は「人間動物園」を建設したのだった。
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