目黒蓮「世田谷区内の小田急線」がハマる深い理由 SnowManっぽい駅は「新宿」、キンプリとSixTONESは?

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それは、銀座や浅草のような関東大震災前から栄えていた街を東京だとイメージすると拍子抜けするほどで、“東京23区内に存在する田舎”と言ってもいい落ち着いた雰囲気だ。

渋谷・新宿・六本木といったギラギラした繁華街ともまた違う。落ち着きすぎていて、正直、ドラマの舞台として選ばれることが意外な、存在感が薄めの駅たちでもある。

経堂駅周辺
経堂駅前の商店街。ここに出店して“予行演習”をした後に、渋谷区や港区に“進出”する飲食店も多い(筆者撮影)

レッスンが終わるたび「これが最後かな」

存在感が薄めでギラギラしていない――。その小田急線の雰囲気は、まだSnow Manに加入するはるか以前の目黒蓮とも通じるものがある。

いまやスターの風格が漂う27歳の目黒だが、驚くことに学生時代は「全然モテなかった」(※1)として、19、20歳頃の自分を「ちょっとイモっぽい」(※2)と認識。

「目立つグループにちょっと憧れも持ちつつ、『オレなんてどうせ……』みたいに思っていました。ジャニーズに入っても、『わぁ、かっこいい人がいっぱいいる! すごい!』って感じてました」(※1)と、アイドルとなっても周囲を見上げるようなマインドを持っていたようだ。

そもそも、オーディションの日から、背が高い目黒は「見えないコがいたら悪いな」と他の参加者に配慮し、最後列で踊っていたという。「誰かを押しのけてでもって強さもない」と自己分析している(※3)。

Jr.になってからも、レッスンに呼ばれる頻度は少なく「何カ月に1回声がかかるかどうか」だったといい、レッスンが終わって帰るときに、六本木駅の改札を入って階段を降りたところにある自動販売機でミルクティーを買い「車内で“このミルクティーを飲むのもこれが最後かな”って、いつも思ってました」と振り返る(※3)。

目黒の語るエピソードは、舞台が六本木でも飲み物はミルクティーと、どこか牧歌的ですらある。

同期の佐藤勝利は、入所後1年でSexy Zoneとしてデビューを果たすが、目黒は佐藤に対して「次元がちがいすぎて、悔しさを感じられる距離感じゃない」とその立ち位置の差を語る。ジュニアの番組に呼ばれることも決して多くなく「たまに出られたときもJr.のバックの列の一番後ろの端っこ」だったという(※3)。

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