一条天皇は高く評価されていた
「天下、甘心せず(天下は感心しなかった)」
藤原実資が日記の『小右記』でそう記しているとおり、一条天皇の行動は、宮中でも問題視されていたらしい。一条天皇は、兄・伊周の不祥事により出家している定子のことが忘れられず、職曹司(しきのぞうし)に移してまで寵愛を続け、物議を醸すこととなった。
よほど呆れたのか、実資は「太(はなは)だ稀有なことなり(とても珍しいことである)」とまで書いている。納得できないと藤原道長の命にすら従わなかった実資らしい辛辣さだ。
しかし、そこには「賢明な一条天皇らしくない」という、実資の思いも込められていたのではないだろうか。
というのも、一条天皇には、実資と同様に「ダメなものはダメ」という一本筋が通ったところがあり、また側近からも「好文の賢皇」と高く評価される人物だった。





        
        
        
      
        
      
          
          
          
          
        
        
        
        
        












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