熊本から2浪東大「第2志望も落ち続けた」彼の絶望 体調もメンタルも崩して、彼が気づいたこと

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小山さんは、熊本県の宇城(うき)市・松橋(まつばせ)町に生まれました。

「両親は大学には行かずに、働いていました。姉も大学受験はしていませんし、何がなんでも勉強!といった家庭ではありませんでした」と語る小山さん。

幼少期にKUMONに通わせてもらいましたが、小学生になったら勉強をあまりしなくなったために、通うのをやめてしまいました。

「幼稚園と小学校のときはクラブチーム、中学では部活動でサッカーをしていて、勉強よりもそちらのほうに熱中していました。自分がやりたいと言ったことをやらせてもらえる環境だったので、両親には感謝しています」

とはいえ、学業成績も悪かったわけではなく、小学校時代は授業を聞いていれば、ついていけるレベルでした。

中学生になると1〜2年生のときは熊本ゼミナール、3年生のときは浦田塾に通い、それなりに勉強するようになったものの、高校受験を目標にするというよりも「できるだけいい成績を取れればいい」程度のモチベーションで勉強していたそうです。

「中学校は1学年に240人くらいいたのですが、その中で上位10~20番くらいの成績だったと思います。中3くらいでみんなが『受験に向けて頑張るぞ!』という空気感になったので、そこで初めて自分自身の中でも勉強に対する意識が芽生えました。受験勉強をして、自分の学力に合っていて、かつ海外に行きたかったので短期留学プログラムが充実していた熊本県立第一高校に入りました」

受験の反動で勉強をしなくなる

県内3~4番手の公立高校である熊本県立第一高等学校に入った小山さん。「東大に行く人は、(県内一の公立校である)熊本県立熊本高等学校に行くものだと思っていた」と語るように、この当時はまったく東大を意識していなかったそうです。

高校に入ってからの小山さんは、受験の反動からか勉強をしなくなり、1学年300人ちょっとの学校でほぼ最下位の成績をとってしまいます。しかし、この結果に危機感を抱いたことで、彼は勉強に目覚めました。

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