岩田聡社長は「ゲーム人生」を駆け抜けた

娯楽の王国を守った経営者の功績とは?

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06年、京都本社にて。ゲームを心から愛し、楽しんでいた(撮影:尾形 文繁)

「あの山内さんが唯一、ニコニコしながら会う人」。当時、ゲーム開発会社のハル研究所で開発部長を務めていた岩田は、こう称されていた。まだ30歳過ぎの頃だ。岩田は1993年にハル研究所社長に就任したが、2000年には任天堂が子会社化した。

「山内さんには息子もいたが、経営者として揺るぎない判断で、岩田さんを後継に選んだ」(ゲーム業界関係者)。その意味で山内は慧眼だったといわざるをえない。社長就任後、岩田は一気に、サクセスストーリーを駆け上る。

2004年に発売した携帯型ゲーム機「ニンテンドーDS」は、2画面でタッチペンを採用するという斬新な操作性が受け、爆発的ヒットを記録。岩田自ら手掛けた『脳トレ』などのゲームソフトは老若男女に遊ばれた。06年に投入した据え置き型ゲーム機「Wii」も、リモコンを振るだけの簡単な操作性で、世界中のファンをとりこにした。

栄光と転落、今は回復途上

2004年まで縮小傾向だったゲーム市場が成長に転じたのは、DSとWiiのヒットによって、マニア層から一般ユーザーへと裾野が広がったからにほ かならない。いつでも岩田はゲーム人口の拡大を目指してきた。任天堂は2009年3月期に売上高1兆8386億円、営業益5552億円の過去最高を記録。時価 総額は10兆円を突破した。

が、山高ければ、谷深し。2011年に発売した携帯型ゲーム機「ニンテンドー3DS」は「成功でも失敗でもない」(証券アナリスト)。2012年に発売し た、据え置き型ゲーム機「WiiU」も売れず、2012年3月期は営業赤字転落。前期は4期ぶりに黒字化したが、現在も回復途上にある。

娯楽ビジネスに浮き沈みはつきものだ。岩田も理解していただろうが、13年に入ると海外事業のテコ入れに奔走する。1週間で北米と欧州を回る出張を何度もこなし、ドイツではリストラに踏み切った。京都本社で岩田の姿を見掛ける回数は減っていた。

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