岩田聡社長は「ゲーム人生」を駆け抜けた 娯楽の王国を守った経営者の功績とは?

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3月のディー・エヌ・エーとの共同会見では「絶対の勝算を持って臨む」と語っていた(撮影:今井康一)

7月13日。京都市南区の任天堂本社は、深い悲しみに包まれていた。

代表取締役社長の岩田聡(55)が胆管腫瘍のため11日に逝去──。プレスリリースと同時に任天堂社内に知らされた訃報はあまりに突然だった。わずか2週間前には、株主総会の議長を精力的に務め、社長に再任された矢先の出来事だ。「誰もが岩田さんは快方に向かっていると思っていた」(任天堂社員)。

2014年6月、岩田が胆管腫瘍の治療のため株主総会を欠席するという発表は、周囲に衝撃を与えた。8月に現場復帰すると、そこからの“変調”は明らかだった。

3月にはディー・エヌ・エー(DeNA)と資本提携を結び、スマートフォンゲームを共同開発すると発表。DeNA社長の守安功によると、「発表する半年前から、現場同士でうまく一緒に仕事を進められるかについて、かなり細かく議論していた」。復帰間もない岩田はDeNAとのスマホゲーム開発の仕込みに着手していたのである。

スマホゲームへと転じた矢先

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04年には「ニンテンドーDS」を投入した(撮影:引地信彦)

同じ3月には、次世代ゲーム機「NX」を開発中であることに触れて、2016年に詳細を発表すると明言。さらには5月、ユニバーサルスタジオの運営会社と、任天堂ゲームの世界観をテーマパークに展開することで合意した。

矢継ぎ早の発表に対し5月の決算説明会では、「保守的な任天堂が変わった。岩田社長が病気になったことがきっかけか」、との質問がアナリストから飛び出したほど。これに岩田は「私が病気をしたことに直接関係があるかというと、ないと思う」と断言した。今となってはその真意を知るよしもない。

岩田が任天堂社長に就任したのは2002年。42歳という若さ、2年前に中途入社したばかりの“外様”役員の抜擢に、世間は驚いた。だが、カリスマ経営者と呼ばれた創業家の故・山内溥元社長(2013年逝去)は、早くから岩田の能力を見抜いていた。

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