"お利口な"子が多い保育施設に潜む「不適切保育」 「しつけ」や「指導」の意味を履き違えていないか

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小さいころから、よき生活習慣や振る舞い方を身につけられれば、大人になってからも無意識のうちに健康的な生活ができたり、社会性のある振る舞いができたりして、「生きやすさ」につながるはずだ。

そんな意味の「しつけ」であれば、多くの人が必要と考えるだろう。それは、子どもに大人への服従を強いることとは違う。そもそも罰を与えて大人が決めたルールを無理強いしても、子ども自身が納得できていなければ、それは本当に身についたことにはならないのではないだろうか。

保育施設は「育ち合い」の場所

私は常々、「子どもが生活習慣や社会性を身につける」ことに関して、保育施設は強みをもっていると考えてきた。

核家族の生活では、子どもの近くに1人か2人の大人しかおらず、子どもはその大人を頼りに、ときにはその大人との対立を繰り返しながら生活している。

しかし、複数の大人や仲間とともに過ごす園生活には、小さな社会が存在する。子どもは、日々、保育者や友だちとともに楽しみながら生活し、ときには少し先を行く仲間の姿に刺激を受けたり、自分もできるようになりたいと願ったりしながら、体験を通して、ゆるやかに、さまざまなことを身につけていく。

こういった子どもの姿は、保育者の間で「育ち合い」と呼ばれてきた。

食事での好き嫌いに関しても、園で美味しそうに食べる仲間の姿、栽培活動やクッキング保育、みんなで読んだ絵本などがきっかけで嫌いなものが食べられるようになったなどということが、保護者の間でもわが子のエピソードとして数多く語られてきた。

念のため補足しておくが、たとえ嫌いなものが食べられないまま卒園したとしても、不適切保育ほどの悪影響を人生に与えることはないと私は考えている。

園には子どもの集団があり、その「育ち合い」を上手に活かそうと意図をもってかかわる保育者がいる。その環境が、子どもが生活習慣や社会性を身につけることを助けている。

これは現代の核家族ではつくり出しにくい環境であり、園で「しつけ」をしてもらったという保護者の感想は、そんな子どもたちの園生活体験からきている。

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