終活の「適齢期」は自分の基準で決めればいい 無理にやっても「鬱々とした」気分になるだけ
きれいごとに聞こえるかもしれないけれど、ここでごまかさないで周りの人たちも自分も信用できるシニアでありたいです。
そして、もしかして、一度できなくなったことがまたできるようになったとしたら、とてもうれしく誇らしく思えるのではないでしょうか。
「少数精鋭」の友人がいれば寂しくない
友人の数にこだわるのもやめました。
私の場合は、同級生、かつての職場の友、趣味友などがいますが、現在は実際に連絡を取り合って会う友人はごく少数です。
昔は、同じ絵の研究所出身である夫との共通の友も含めて、賑やかに過ごす時間も多かった。誰もが若かったし、みんな今より寂しがりだったような気がします。
年を取ると、あまりに賑やかなのは疲れる代わりに、ひとりでいてもそれなりにすることがあって、誰かと会わないと寂しい……という気持ちも減ったかな。
まあ、老夫婦なりの会話はあって、共通の友達もけっこういたから、
夫「ほら、あの、あいつ名前はなんだっけ。いつも映画の話、してさ」
私「えーっと、苗字に田がつかなかった?」
夫「田は多いよな……吉田? あっ吉野?」
私「田じゃないじゃん、で何の話だっけ?」
みたいな「?」だらけの会話をしょっちゅうやっています。
60代後半からは、友人の訃報もチラホラ。70からの歳月は、もっとそういう機会は増えるでしょうが、そんな寂しい体験も含めて友人の数にこだわるのはやめたいです。
会わなくても、会えなくなっても懐かしい友人たちは、かけがえのないもの。今は苗字がすぐ思い出せなくても、かつて楽しかったことがなくなるわけじゃないし、大切な友であることに変わりない。
まずは自分のこれまでの多くの友たちとも過ごしてきた歳月を否定しないで、今の自分と仲良くしていきたいです。
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