終活の「適齢期」は自分の基準で決めればいい 無理にやっても「鬱々とした」気分になるだけ

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憧れるのは、飄々とした少し仙人テイストが入ったご老人の佇い。ごまかしたり見栄はったりとは対極にいる、自然体の自分になれるなら、これからの歳月も無駄じゃない気がします。

おいしいものも、おしゃれやおしゃべりも、誰かの真似や受け売りじゃなく、自分でじかに感じて感激して、まずは自分の中の「栄養」や「エネルギー」にする。

「おススメのおいしいモノあります?」と聞かれたとしたら、自分の中の抽斗から、いくつかおいしいモノの名前やエピソードが出せたら、とってもうれしいです。

そして聞いた相手が、実際にそれを食べるかどうかの問題は、その人の人生の問題だから、気にすることなく抽斗をそっとしめる……。こんなシニア、只者じゃなくカッコイイなぁ。

シニアにとって「失敗は、むしろ伸び代」

昨日までできなかったことができる幼児と、昨日までできたことができなくなる高齢者、どちらも通るのが人生なんでしょうね。90代を経験した父母も、やはりつい最近までできたことを失敗するようになると、娘の私には隠すことが多かったです。

仕方ないことだと思うし、介護のプロの前では(ほぼ)正直にできないことを認めていたから、その辺のデリケートな気持ちは分かります。

親は、こういうことも、子に教えていくのかな……。時が経った今は、そんなふうに考えられるようになりました。

70代の今は、まだ90代とは失敗のレベルが違うから、たとえ何か失敗したとしても隠したりせず暮らせていますが、その年になってみないと本当のところは分かりません。ただ、私個人はこれからも失敗を隠すのはやめたいです。

それは「失敗が悪いこと」とは思っていないから。できないことや失敗には、理由があるわけで、隠されたり隠したりすると、解決方法が見つかりません。「失敗があるから、工夫できる」、そう考えたいです。

体裁や見栄より、少しでも暮らしやすく自分なりの快適を求めるなら、失敗は隠さずに家族やプロと相談しつつ、方法を見つけたいと思います。

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