「仕事を選ぶ人」は幸せになれない"残念な真実" 名物記者が語る「量が質を凌駕する」という真理
話は少し前後しますけれど、そういうわたしも、会社内でいつも書いてきたわけではないんです。社外でフリーライターの仕事をずっとしているから、その意味ではいつも書いてはいたんですけれど、新聞社で考えると、ずっと書く場所にいられたわけではない。
外されました。いちばんいやな仕事をやってました。
会議するのが仕事ってことがあった。しかも他社との協同事業だったから、そのときはテレビ朝日とKDDIと、毎日、会議していた。
わたしは、会社を辞めようと思っていたんです。これ、意味ないわ。こんな人生を送りたくない。辞めようとして、じっさい、準備もしていた。
そうしたら、見るに見かねて上司が、記者に戻してくれた。「ただし、ヒラの記者だけど、いいのか?」、「ありがとうございます! 恩に着ます!」と、完全に舞い上がってました。形式的には降格なのに、なにがそんなにうれしいか。
「スニーカーが5ミリぐらい宙に浮いて歩いてる」と、周りの人間にしばらく言われました。
ヒラのライターに戻してもらって、そこからは水を得た魚雷です。どんな仕事にも飛びついて、周囲の人間がどん引きするくらい、激烈に仕事した。その間に本も出版したりして。「こいつ、いつ寝てるんだ」って感じでした。
以来、会社内でも、ずっと書くポジションにいます。わたしも、〝罠〞にひっかかりました。罠にかかったけれど、なんとか自力で脱出した。くくり罠から、自分で足首を引きちぎり、逃げ出した。足首の欠けた猪です。かわいそうに、山の中にいくと、たくさんいますけれど。
筋肉と語学は裏切らない
書けない部署にいるときに、なにをしていたかというと、筋トレです。
そのときはもう、ジムに通い詰めました。会社の地下にも簡単な体調室があって、いくつかマシンが置いてあった。ずっと筋トレしてました。
それから、外国語の勉強です。単語帳を縮小コピーして、手のひらに入るサイズの紙片にして切っておくんです。退屈な長い会議で、ずっと、その紙片をめくっている。まだ目がよかったからできたんですが。
手のひらのメモをひっくり返している分には、「なにか資料でも見ているのかな」と勘違いしてくれる。だから、ずっと単語を覚えていました。
不遇の1年間で、シャツが合わなくなるほど体は大きくなって、単語もすごく覚えたんです。あのときに英単語は1万語覚えましたね。英語の本を、辞書を引かないでストレスなく読めるようになった。
いま、英語を原書で読めるようになったのは、書く場所から外されていたおかげです。
あとで聞きましたが、同僚はみな、わたしの行動を不審に思っていたそうです。
「近藤さんが会議中に見てるの、あれはなんだ?」「(相撲で行司が呼び上げるときに見る)番付表か」って言われていたらしい。式守伊之助かよと。
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