ミセス「コロンブス」騒動における隠れた「勝者」 「古い価値観」はいつから「古い」とされるのか

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“征服者”コロンブスが猿の住む家に押し入り、教育を施す――という内容は、皆さんも「炎上も当然」だと評するものであろう。だが、ここで思いを巡らせてみたいのは、本件が「炎上も当然」になったのは、果たしていつの頃からか、ということである。

ほんの十数年も遡れば、コロンブスが猿に教えを施すという構図に騒ぐのは、マイノリティ勢力に過ぎなかった。たいていの人は、そこに何の問題も見出さなかったはずである。長年、コロンブスは「新大陸を発見した偉人」とする評価が一般的だった。また、猿というモティーフが有色人種の差別表現であるとして多くの状況でNGになったのも、ここ最近のことに過ぎない。

Mrs. Green Appleの「コロンブス」が炎上するのは、十数年前では起こり得なかった、きわめて現代的な事象なのである。現代のあまりに急速な社会常識の変化が、20代の将来有望なミュージシャンたちのキャリアに、忘れがたき深い傷を負わせた。生きづらい世の中になった、と嘆いてばかりもいられない。Mrs. Green Appleだけではない。私たちの誰もが、この急速な社会変化の中を、潜り抜けていかねばならないからである。

自己否定を繰り返し、再構築を続けるシステム「近代」

なぜ今日では、かくも急速に常識が変化するのか。その理由は、私たちが生きる社会が「近代」(モダン)という枠組みの中にあるからである。この「近代」の駆動メカニズムを理解すると、私たちは今の社会の成り立ちや動き方の特徴が見えてくる。

近代とは、批判を恐れず簡便に定義をするなら、古い非合理的・非合法的な制度・しきたりを廃棄し、自然科学・社会科学・人文科学の諸活動に基づいて、合理性に根差した社会システムによって人間生活が営まれるようになった時代のことをいう。

科学的合理性に根差した社会システムとはつまり、あらゆる社会の仕組みが、論理的に説明できるものである、ということを意味する。なぜ、国家という単位を持つのか。なぜ、三権分立をするのか。なぜ、働くのか。金融とはいかなる仕組みか。何が、正しい事なのか。科学の力が、それらの全てに根拠を与える。そういう社会構造のもとに、私たちは生きている。

この特徴ゆえに、近代という社会構造の中では、科学が発展するにつれ、その諸原理が否定され、再構築されていく。かつては正しいとされていたことが誤りであったとされて、新しい科学理解に基づき、新しい常識が生み出されるのである。

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