中内さんは、「革新的な流通業者は、その背後に目覚めた消費者大衆の支持を受けることによって革命へのプロセスを歩む」とまで述べた(中内功さん著『わが安売り哲学』1969年)。まるでその発言は、大企業の社長からのものではなく、社会主義革命を経て共産主義革命に至るというマルクス主義革命論者のそれである。中内さんは、「ソビエトをつくろう」とも語り、「流通革命のソビエトは、まず大阪、神戸に建設されるべきであり、やがて各地に広がっていくだろう」と宣言した。
同志の労働者階級を消費者大衆と置き換え、敵対する資本家を大手メーカーと置き換え、中内さんはたったひとりで世界に闘いを挑んだ。武器は安売り商品によって。そして目指すは消費者大衆が中心となる世界の樹立だった。
約30年前までは「ジャスコやイトーヨーカ堂、西友などの内定を断って日本最大の小売業、ダイエーに入社するのが一般的」(日経ビジネス2006年10月16日号)だったわけだし、少し前までは「ダイエー社員はイオンを今も格下の会社と見ている」(同誌)傾向もあった。
安価な商品を日本の隅々にまで行き渡らせること。まさにいま成立している世界は中内ダイエーの目指したそれだ。ただ、いくら革命の指導者であっても、大衆のたまゆらな欲望をとらえきれないと、すぐさまその地位から引きずり落とされる。
中内イズムの挫折
中内さんが『わが安売り哲学』を書いた1969年から、23年後の1992年にはバブル崩壊が誰の目にも明らかになった。そして、ダイエーは阪神大震災(1995年)あたりから苦境に陥ってきた。それはカリスマも止められないレベルの悪化だった。
中内さんが発明したのは、土地を買っては店舗を広げ、そこで信用を増し、さらに土地を購入するという経営手法だった。再び中内さんの著書『わが安売り哲学』から引用しよう。戦争に勝つためには、「チェーン店の増設である。(中略)店を豪華にするよりも、売り場面積を増やしていく。店は戦争の基地であり、基地をいくら持っているかが戦争の勝敗を決める」(同書)と。さらに毛沢東革命になぞらえ「“民族”(流通業者)独立を果たすのが目標であり、“外国”(生産部門)に植民地をつくることではない」と。
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