ダイエー、不振の20年が示す「革命」の代償

中内モデルはなぜ成功し、そして躓いたか

それは、土地価格が上がり続ける前提では正義であり、勝利の方程式だったのは間違いない。だが、土地価格が下落を始めると、途端に立ちゆかなくなった。売り場そのものの競争力を上げるよりも、売り場をとにかくたくさん広げることを最重視したのも裏目に出た。近年、ダイエーの店舗が老朽化していることが、消費者を遠ざけていると指摘されていたことを知ると示唆に富んでいる。

中内さんは業績悪化を受け、2001年にすべての職を辞めたが、カリスマなきあとも同社は浮上しなかった。その3年後の2004年10月にダイエーは自主再建をあきらめ、産業再生機構に頼った。

1971年から43年で上場廃止となった。かつて売上高が2兆5000億円を超え、リクルートにも出資したダイエー。時価総額が1兆円を上回ったこともある同社は、上場廃止のとき533億円の時価総額にすぎなかった。そのおよそ1年後、脳梗塞で倒れた中内さんは2005年9月にこの世を去る。

産業再生機構に入った後のダイエーは、当然ながらコスト抑制が中心となった。その過程で問題だったのは、コスト抑制に注力するがあまり、新サービスや新商品に関する視点が欠けがちになったことだ。さらに、既存店舗のテコ入れも遅れた。

2007年にはイオン、丸紅と資本業務提携した。ただ、丸紅は社長も派遣し改革を試みたが、頓挫のあと、イオンに株を売却した。ダイエーが、このところ勝者の代名詞であるコンビニであるローソンを三菱商事に売却してしまったことも、その後の復活を難しくした。

消費者大衆の変容

日本は少子高齢化が進み、単身世帯やシニア世帯が増え、共働き家庭が主要な家族形態となった。そこにコンビニが成長する背景があり、簡単な調理で済ませる中食需要が高まるのは当然だった。

そして、小売業は専業化、専門店化が進む。ファミリー層がやってきて限られた種類の商品を大量購入するスーパーのモデルは、もはや行き詰まりを迎えた。衣料はユニクロがあり、家電はネットや大手量販店がある。書籍はアマゾンがあるし、医薬品もドラッグストアにはかなわない。土地効率からしても、コンビニのフォーマットや、ショッピングモールに軍配が上がる。

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