江戸時代の「相場の神様」本間宗久に学ぶこと 「連戦連勝の相場師」を超えた哲学者だった

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以下は、手元にある『本間宗久相場三昧伝―相場道の極意』(投資レーダー) を基に、その教えとされるものをいくつかご紹介してみよう。

● 米商いは踏み出し大切なり。踏み出し悪しき時は決して手違いになるなり。
――何事もスタート時点が大事。焦っちゃ負け。
● 商い利運仕当たる時、先ず大概に致し、取り留むるものなり。その節一両日休むべし。
――儲かったときは、感謝していったんブレークを入れること。「休むも相場」。
● 十人が十人片寄る時は決してその裏来るものなり。
――リーマンショックも新型コロナショックも、そんな感じでしたなあ。
● 思い入れ違いは早仕舞い、行き付きを見るべし。
――ナンピン買いは悪手、相場に逆らっちゃいけません。
● 腹立ち売り、腹立ち買い、決してすべからず、大いに慎むべし
――競馬場でこれをやったら確実に負けます。
● もうはまだなり。まだはもうなり、ということあり。
――おそらくはいちばん有名な相場格言。
● 年中の内、両三度より外、商い致するところこれ無きものなり。
――相場というものは1年に2~3回の仕掛けのチャンスしかないものである。

江戸時代の「ウォーレン・バフェット」だった?

要は、今日に残る「相場格言」のうちかなりの部分が、本書を源流としている。そして本間宗久は、単に勝ちまくっただけの相場師ではなく、以下のような観察を残した哲学者でもあった。いやもう、「江戸時代のウォーレン・バフェットさん」と言っても、過言ではないのではないだろうか。

● 米の高下は天声自然の理にて高下するものなれば、極めて上がる下がると定め難きものなり。この道不案内の人は迂闊にこの商いすべからず。
――「米」の部分を、「株価」や「長期金利」や「為替」に置き換えてもまったく異和感がない。まさにマーケットとはそういうもの。ところが「この道不案内の人」による「迂闊な商い」が後を絶たない。
● 足らぬものは余る、余るものは足らぬと申すことあり。
――豊作の年はぜいたくに使うのでコメが足りなくなり、不作の年は大切に使うので余るということが繰り返された。相場はコメの作柄だけではなく、人の欲望にも左右されるのだ。
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