江戸時代の「相場の神様」本間宗久に学ぶこと 「連戦連勝の相場師」を超えた哲学者だった

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ところが地元・酒田の人々にとって、偉かったのは3代目の本間光丘のほうであった。光丘は私財を投じて防砂林を造り、以後も本間家は代々、植林を続けていく。

秋田県から山形県にかけては日本海から吹く風が強いところで、今も多くの風力発電の風車が建っている。かつては海風が砂を運んできて、稲作に甚大な被害を与えていた。庄内平野が国内有数の穀倉地帯となったのは、まさに本間家の努力のお陰という見方もできる。

さらに光丘は、庄内藩の財政再建を任されて成功し、士分に取り立てられている。晩年には、米沢藩の上杉鷹山の改革を助けてもいる。宗久とは違い、こちらはとことん酒田にとどまって地元に尽くす人生であった。

「記念館」をつくれば全国から市場関係者がやってくる

宗久と光丘はおじ・おいの関係になる。マーケットとビジネス、虚業と実業、私益と公益、グローバリズムと地元貢献。まことに対照的な人生だったことになる。

ただし両者は、晩年になってお互いを認め合うようになり、和解を遂げたそうである。それは望ましいことで、まっとうな部分といかがわしい部分、両方がそろわないと資本主義という仕組みは成立しないことになっている。

こうなると筆者の悪い癖で、「本間宗久と光丘の、対立と和解の歴史を描くNHK大河ドラマはどうだろう?」などと考えてしまう。宗久と光丘の間には、実は若い頃から一種の「出来レース」があったと考えると面白い。

播州・姫路に修行に出された若き日の光丘を宗久が陰で支援していたとか、江戸で破産して帰ってきた宗久を光丘が励ましたとか、死に際の宗久が「ワシの財産は全部、酒田の防砂林事業に使ってくれえ」と言い残すとか、いいドラマができるんじゃないかと思うのである。

今どき「大河ドラマで街おこし」とは、われながら少々古い発想だとは思う。とはいうものの、現在の酒田市は「売地」の看板が目立ち、お店も早い時間に閉店してしまう、ちょっと寂しい街なのである。有名な「酒田ラーメン」のお店も、午後3時にはほとんど閉店してしまうので、哀しいかな食べそびれてしまったのである。

それでも鳥海山の雄姿には見惚れたし、日和山公園では日本海に沈む夕日を写真に収めることができた 。酒田市の皆さん、あとはお願いですから、本間宗久記念館を作ってください。きっと全国から多くの市場関係者が訪ねて来ると思いますから。

できれば、こんなふうに言ってもらいたいものである。「宗久翁の教えに触れて、私も香車一枚強くなりましたよ」と。

(本編はここで終了です。このあとは競馬好きの筆者が週末のレースを予想するコーナーです。あらかじめご了承ください)

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