江戸時代の「相場の神様」本間宗久に学ぶこと 「連戦連勝の相場師」を超えた哲学者だった

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事実、庄内平野は神奈川県がすっぽり入るくらい巨大な地域である。芭蕉が「五月雨を集めて早し」と詠んだ急流・最上川は、日本海に流れ込む河口近くでは滔々(とうとう)たる大河となり、広大な流域を形成している。川を挟んで空港と同じ側には、城下町である鶴岡市がある。川の反対側には、かつて北前船の拠点であった港湾都市、酒田市がある。

両都市はいわば長年のライバル関係にある。そこで初めて筆者は気づいたのであるが、「本間様には及びもせぬが、せめてなりたや殿様に」という有名なフレーズは、あれは酒田の人々が鶴岡の人々を「ディスる」(おとしめる)ために作ったのではあるまいかと。

相場の神様「本間宗久の教え」とは?

いや、筆者が酒田市を訪れたかったのは、「相場の神様」本間宗久(1724〜1803)の出身地だからである。江戸時代に米相場で連戦連勝を遂げ、大坂の堂島で「出羽の天狗」と称され、「酒田照る照る、堂島曇る、江戸の蔵前雨が降る」などと歌われた人物である。

なんでそんなことに関心を持ったのかといえば、投資を始めた若かりし頃に、手当たり次第に株の本を濫読した時期があった。その中でいちばん面白かったのが、米長邦雄著『米長流株に勝つ極意』(サンマーク出版) であったのだ。

当時のヨネさんは、すでに将棋界のトップクラスに位置していたのだが、とにかく才能がありすぎていろんな分野に手を出しまくり、本書では株式投資に入れ込んで、危うく信用取引で自宅を失いそうになったことまでが書かれている。

もちろん今では絶版だし、本は証券会社勤務の後輩にあげちゃったので手元にはない。仕方がないから記憶で書くのだが、ヨネさんは修業時代にこの本間宗久の教えを知り、「香車一枚強くなった」というのである。

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