村上春樹『風の歌を聴け』が表現する日本的感性 「他人とは分かり合えない」から始まる人間関係

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浜崎:ホントそうですね。その「日本的感性」っていうのは、今回、僕も読み返していて改めて感じました。その意味じゃ、ものすごく伝統的な日本文学だなぁと(笑)。もちろん、書き方はアメリカナイズされているし、オシャレで現代的なんですけどね。

川端祐一郎(かわばた ゆういちろう)/京都大学大学院工学研究科准教授。1981年香川県生まれ。筑波大学第一学群社会学類、京都大学大学院工学研究科博士後期課程修了。日本郵政公社、郵便事業株式会社、日本郵便株式会社を経て、現職。共著に『名言読解日本語』(多楽園出版)、『流行語で学ぶ日本語』(外語教学与研究出版社)がある。

でも、それで思い出したのが、実は、アレクサンドル・コジェーヴの『ヘーゲル読解入門』っていう本だったんです。冷戦が終わったときに出たフランシス・フクヤマの『歴史の終わり』の種本です。というのも、そのなかでコジェーヴは、「ポスト歴史の世界」、つまり「ポストモダンの世界」と「日本的スノビズム」とを重ねて論じていたからなんです。

コジェーヴによれば、「歴史」とは、所与の自然を否定する労働と闘争の時間なんですが、これ、要するに「葛藤」のことですよね。つまり、「葛藤」によって成長し、進歩する時間が「近代の歴史」だというわけです。だけど、その「歴史」が終わったとき、2つのバージョンが現れるんだともコジェーヴは言う。

一つが、「労働」(自然の否定)を必要としなくなった「動物」のような生活、要するに、大衆消費社会に現れる「アメリカ的生活様式」です。それと、もう一つが、実は「ポスト歴史の日本の文明」、つまり、「労働」しないのに、自然に対する否定性を失わない生活スタイルだと。

で、コジェーヴは、これこそが「スノビズム」だと言うんですね。「労働」を通じて新たな「内容」を生み出していくような近代的生活ではなくて、「内容」の移りゆき(諸行無常)を、ある「形式」によって繋ぎ留めようとするような生活スタイル、それこそが日本的スノビズムなのだと。そして、「歴史」や「進歩」を締めて、なお「人間」であろうとすれば、これしかないとも言うんです。

それに絡めて言えば、村上春樹の世界って、まさに「ポスト歴史の世界」でしょう。つまり、そこで語られている「内容」に意味はないんです。問題なのは、その「語り方」なんですよ。スタイリズムと言えば「倫理」にもなるんですが、ただ、このスタイリズムは、同時に「スノビズム」でもあり、また「ポスト歴史の世界」の作法ということにもなる。

柴山:だけど、危険は危険ですよね。だって現実には歴史は終わっていないから。「葛藤」の世界は終わることなく続いていくわけですから。

「他人とは分かり合えない」が人生のベースにある

藤井:だから僕は、31のときから村上春樹の世界を全く読まなくなったんですよ。今回20年ぶりに読んで、やっぱり引きずられてしまう危険性がある。なんで僕は31のときに彼の世界を断ち切ったのかというと、この世界に立ち止まっていたら、人間でなくなってしまうような気がしたんです。

だけど、僕はやっぱり31までの間に村上春樹を読んでいたことには絶対意味があったと思う。なぜかっていうと、人生全体がそうだとは思うし、現代だからより一層そうだと思うんですけど、やっぱり他人とは分かり合えないという無常観をベースにはっきりと心に持ち続けていないと、そういう諦観がないと人生は生きられないし、時代を作っていくこともできないと思うんですよ。

ここまで深く村上春樹のことを論じたのは生まれて初めてですが。なぜかというと、春樹って空気みたいな存在で、対象化できないくらい距離が近かったからで、だから、僕は一言一言かなり切実な言葉を僕なりに吐こうと思っていますが、その上で言えば、やっぱり捕虜収容所の世界の人間たちは無常観を持たずに生きているんですよ。

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