村上春樹『風の歌を聴け』が表現する日本的感性 「他人とは分かり合えない」から始まる人間関係

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浜崎:でも、春樹にも本当は「葛藤」はあったはずなんですよ。それは小説のなかでたびたび暗示される学生運動でしょう。でも、夏の一時だけこの「葛藤」から逃れて……。

浜崎洋介(はまさき ようすけ)/文芸批評家、京都大学経営管理大学院特定准教授。1978年埼玉生まれ。日本大学芸術学部卒業、東京工業大学大学院社会理工学研究科価値システム専攻博士課程修了、博士(学術)。著書に『福田恆存 思想の〈かたち〉 イロニー・演戯・言葉』『反戦後論』『三島由紀夫 なぜ、死んでみせねばならなかったのか』『小林秀雄の「人生」論』。共著に『西部邁最後の思索「日本人とは、そも何者ぞ」』などがある。

柴山:故郷の街に帰ってビールを飲む、と。確かに新宿の騒乱とか出てきますからね。

浜崎:そう、新宿騒擾事件。その新宿騒擾事件だって、結局、全学連の学生が「米軍ジェット燃料輸送阻止」を叫んで新宿駅の線路を占拠した反米運動ですからね。でも、それには絶対に触れない。自殺してしまう女の子だって、ヒッピーの女の子だって、けっこう悲劇的な話なんですが、それもサラッと表層に触れるだけで決して深く入っていかない。

でも、逆に言えば、他者に踏み込んだり踏み込まれたりした時代、それが春樹にとっては否定すべき60年代なんでしょうね。要するに、マルクス主義という「大きな物語」があって、それを介して「お前はどうするのか」っていう踏み込みの「暴力」が許されていた時代、それが春樹の否定すべき「近代」だったということです。

互いを尊重しつつもプライベートには立ち入らない

浜崎:でも一方で、その「暴力」がなくなったせいで、誰とも絆を作ることができなくなった。その「喪失感」や「悲しみ」が、まず冒頭で徹底的に書かれているわけです。だから、どんな会話も絶対に正面からぶつからないし、誰も本気になることはない。会話は必ずはぐらかされるし、「何も考えるな。もう終わったことじゃないか」とか「それだけのことさ」とか「意味ないさ」とか「やれやれ」といった言葉もたびたび出てくる。

その意味では、前回藤井先生が、破壊できないのだとしたら、逃げ場所として女の子が出てこざるをえないじゃないかって言ったけど、まさにそのとおりです。春樹はこの他者との距離感、「葛藤」をうまく回避しながらコミュニケーションを続けていく空間に居場所を求めようとするわけです。だから、問題は、これを良しとするのか、悪しとするのかですよね。

ただし、その「居場所」を書かせると、めちゃくちゃ巧いんですけど(笑)。

柴山:最後まで飽きさせないという意味で、読者サービスも徹底していますね。

浜崎:そうそう。でも、だから思春期に読んだときは、正直、怖かったですよ。こっちの方が無駄に傷つかなくてすむし、絶対カッコいいと。でも、こっちに行ってしまうと、まさしく「相対主義」を認めるようなことになるんではないかという怖さがありましたね。

柴山:その危険はよく分かるんですけど、今回読んでみてちょっと評価が変わったのが、そういう他者に踏み込まない形での倫理もありうるのかな、と。

藤井:そうなんですよ。

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