嬉野のティーツーリズムに外国人が殺到する理由 栃木も群馬も大失敗、官製富裕層観光の問題点

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その背景には、同地にある老舗旅館「和多屋(わたや)別荘」の3代目である小原嘉元(こはらよしもと)社長を中心とした取り組みがあります。

和多屋別荘の外観。敷地の中に川も流れており、落ち着いたたたずまいだ

同旅館は1950(昭和25)年の創業。敷地は東京ドームより広い、約2万坪(6万6000㎡)。客室数も100以上あります。

嬉野の地域全体の資産を発掘、旅館を世界へ開く

伝統と格式がある名家が経営する和多屋別荘を初めて訪れると、誰もが少なくとも3泊以上したくなるような旅館ですが、実は2代目が平成バブル時に子会社のテーマパークに過大投資をしたことなどで大きな負債を抱え、何度も経営難に陥っていました。

親子間の確執もあり嘉元氏はいったん家業を離れますが、コンサル会社での経験を経て、自らも旅館再生専業を行う会社を起業。10年ほどで計80件超の再生を手がけることで手腕を発揮していきます。

嘉元氏は実家再生の最後のチャンスとして2013年、36歳のときに経営を引き継いで社長に就任します。危機的状況を打開するうえで、閉じこもった発想ではなく、嬉野の地域全体の資産を発掘し、前出の「3つの要素」(うれしの茶・嬉野温泉・吉田焼)を活用して、旅館全体を開放していったのです。

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