新しい浪人「おしゃ浪」海外で難関大目指す新勢力 「おしゃれ浪人」という浪人の新たな選択肢

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さらには、留学も卒業直前の高校3年生の1月からのプログラムしかなかったため、日本に帰ってくる段階で、すでに1浪が確定していた天山さん。

「大学には絶対行こう」と思っていながらも、何も受験のことを知らない状態で無条件に1年進学を遅らせる留学の決断は、彼にとっても、とても勇気のいる選択でした。

「大学進学が遅れることへのためらいは、正直ありました。そう悩んでいるときに父親が『かっこつけのために留学に行くならやめておけ』と言ってくれたんです。でも私は人と違う経験をしたい、将来人と違うことを成し遂げる人間になりたいと思っていたので、その旨を父に話したら、『じゃあ行くしかないだろう』と背中を押してくれました。父親のおかげで、留学する決意ができたのです」

留学中から1カ月後に火事に遭う

こうして彼は、「世界で使用されている言語の中でも、話者が多かったため」という理由でフランスに行くことを決めます。高3の12月までに卒業認定をもらい、1月に日本を飛び立ってから12月末までの約1年、フランスで語学留学をしました。

「ホームステイをしながら、現地の学校に通いました。スケジュールは普通の日本の学校と変わらず、朝8時半くらいに学校がはじまって、16時くらいにステイ先に戻ってくる感じでした。受講した科目は英語、哲学、歴史、経済、数学、サイエンスといった感じです。ただ、授業のフランス語がわからなすぎて、最初のほうはただ座っているだけだったので大変でしたね」

何も手応えがないまま1カ月を過ごした天山さんは、アクシデントにも遭遇します。

「向こうについてから1カ月後、火事に遭ったんです。あれは朝の5時半でした。たまたま前のホスト先がバケーションで家を空けるため、ホストが変わった直後だったので枕が違って寝れずに起きていました。

すると、頭の上から物が崩れ落ちてきたのに気づいたんです。慌ててパスポートと貴重品だけ持って逃げたのですが、それからすぐにベッドが瓦礫で埋まったので、寝ていたら命はなかったですね……。その後、救急車に入れられたり、警察の取り調べを受けたりしたのですが、当時の自分はフランス語を何も聞き取れないし、話せないので全然答えられませんでした」

おしゃ浪 濱井正吾 浪人
火事に遭ったときの写真(写真:天山さん提供)
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