まず「なんとかしよう」という思考をストップさせます。それにより、「どうしてこうなったんだ」とクヨクヨしたり、なんとかせねばとあわてたり騒いだりするジタバタも止まります。
そうして心が落ち着いたら、前を向いて大きな声でいいましょう。「なんとかなるさ」――と。
あとはクリアになった頭で、少しでも事態がよくなるよう、できる限りのことをするのみ。努力を続けていれば、やがて起死回生の機は熟します。
仏教流にいえばそれは、「努力という因が、チャンスという縁を結ぶ」ということです。何があっても楽観的に前を向いて努力すれば、必ずチャンスをつかめます。
物欲は際限なくふくらむ
物欲というのは、放っておいたら際限なくふくらみます。決して満足せず「もっと、もっと」と新しい物を欲しがるのです。お釈迦さまもこういっています。
「執着の強い人は、ヒマラヤの山を黄金で埋めても、まだ満足しない」
たしかに物欲で“着ぶくれ”しているような人は相当数います。けれどもどこまで“欲の厚着”をしても満たされないとは、なんと心が貧しいことでしょう。
同じくお釈迦さまは、ご臨終を迎える最後の教えとされる『遺教経(ゆききょうぎょう)』という長いお経のなかで、こう書かれています。
「知足の人は地上に臥(ふ)すといえども、なお安楽なりとす。不知足(ふちそく)の者は、天堂に処すといえども、また意にかなわず。不知足の者は富めりといえどもしかも貧しし」
つまり、「いまのままで十分だと思っている人は、暮らしぶりがどうであろうとも心は豊かである。一方、どこまでも満足できない人は、どんなにぜいたくな暮らしをしていても心は貧しい」ということです。
「知足」に幸福感を見いだしたとき、すっきりとした心で生きる日常が手に入ります。
仏教は「中道の精神」を重んじます。「何事も極端に偏ってはいけない。ちょうど真ん中くらいのところを意識しなさい」と説いています。
翻って現代人はどうでしょうか。働きすぎ、食べすぎ、買い物しすぎ……何かにつけて「やりすぎる」傾向があると見受けます。
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