ケイスケさんは「社会に参加したい。役に立ちたいんです」と訴える。そのためにどんな支援が必要かと尋ねると、「例えば新聞社や大学で自分の得意な分野を担当させてもらえればよかった」という。私が「それは支援ではなく、特別扱いでは」と言うと、「おっしゃる通りかもしれません」とうなだれた。
一方で「障害者雇用はもっと多様であるべきです」との指摘は一理あるように感じた。「大人の発達障害が増えた」とされるが、実態は「発達障害の診断を望む大人が増えた」ということだろう。背景には社会の変質がある。かつては障害特性を持った人たちも内包してきたコミュニティーが彼らを受容しなくなった。
特性に応じた選択肢があってもよいのでは
排除の是非は置くとして、発達障害の人にも生活はあるし、社会と関わりたいと望むのも当然だ。私たちの社会が発達障害の診断を望む大人を生み出したのなら、せめて障害者雇用は最低賃金水準の単純作業や農作業だけでなく、その特性に応じた選択肢がもう少しあってもよいのでは。
最後になぜ取材を受けようと思ったのかと尋ねると、「私みたいになっちゃいけないということを知ってもらいたかったから、でしょうか」とケイスケさん。美しい文章を操る能力と、一方的に話し続ける振る舞いからくる違和感。出会って真っ先に感じたギャップはケイスケさんの生きづらさを象徴しているようでもあった。
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