「働き口がない」早稲田院卒55歳男性のジレンマ 美しい文章を操る能力と「振る舞い」のギャップ

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私事だが、私は新卒で新聞社に就職し、最初の1年間は校閲部に配属された。生来注意力に欠けるところがあり、私もケイスケさんと同じようなミスを犯したことがある。ただ上司に叱責されてからは細心の注意を払うよう心掛け、以来ケアレスミスはなくなった。

注意力散漫な私にとって校閲作業はそれなりにストレスだったが、自分に負荷をかけることで乗り切ることができた。しかし、発達障害の人は相当の努力をしてなんとか水準に到達することができるかどうか。努力してもできない、あるいはケイスケさんのようにそもそも「好きなことでないと努力が難しい」という人もいる。身勝手に映るかもしれないが、それが発達障害の特性なのだ。

囲碁と仏教史の違い

さらに話がそれるが、私は韓国ドラマが好きでよく視聴する。ケイスケさんの話を聞いていて以前見た「応答せよ1988」という作品に登場するチェ・テクという天才棋士のことを思い出した。彼は囲碁の試合で多額の賞金を稼ぐ一方で、カクテキ(大根キムチ)を箸でつかむことができず、靴ひもを結ぶことができず、アワビがゆの温め方を説明されてもまるで理解できない。ドラマの中では発達障害への言及はなかったが、幼馴染たちの中でもとびぬけて運動神経が悪いことをうかがわせるエピソードもあった。

ランチ 取材
ランチを取りながら取材。気が付くとおかずのハンバーグだけを平らげていた。交互に食べることが難しいという発達障害の特性を伝えたくて、写真を撮ってもよいかと聞くと「どうぞ」とケイスケさん。ご飯だけ食べておいしいのですかと尋ねると「うーん」と言葉に詰まっていた(筆者撮影)

就労継続支援施設の印象をこわばった表情で語るケイスケさんを見ていると、囲碁と仏教史の違いは何だろうと思ってしまう。それは社会的なニーズやすそ野の広さにあるのだろう。ケイスケさんは「仏教史の研究だって日中友好に役立ちます」と主張するが、障害の有無にかかわらず仏教史で食べていける人は、やはりほとんどいないのではないか。

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