「女子野球のパイオニア」が破ったガラスの天井 片岡安祐美「"女性だから"と思っていたのは私」
だからといって、最初から覚悟が決まっていたわけではない。
実力では男子部員に負けないと気を張っていても、16歳の多感な少女。「女だから」試合に出場できないという理不尽さに葛藤し、野球部の女子マネジャーに泣きながら悔しさを打ち明けたこともある。
試合に出る機会が少なく、自分の成長を感じられずに悩んで涙したことも数えきれないという。
片岡さん:女子野球部がある高校に進まなかったのは、どうしても甲子園に行きたかったから。
自分で覚悟と決意をもってその道を選んだので、葛藤しながらも逃げずにやり通すしかなかったんです。
自分で覚悟と決意をもってその道を選んだので、葛藤しながらも逃げずにやり通すしかなかったんです。
しかし、熊本商業硬式野球部は甲子園の地を踏むことはなく、片岡さんの夢もかなわなかった。
男性社会での葛藤
その後の片岡さんは、順調に選手としての実力を認められていく。タレントの萩本欽一さんとの出会いも追い風となった。
2002年からは4年連続で女子野球日本代表に選出され、2005年からは茨城ゴールデンゴールズに選手として入団。6年後の2011年からは、選手兼監督としてチームを取りまとめている。
片岡さん:最初は自分が監督なんて、選手たちに申し訳ないと思っていました。指導歴のある男性が監督をやった方が、チームも伸びるんじゃないかと悩んだこともあります。
男性、女性ではなく、常に野球選手として見てほしいと言いながら、自分が一番自分の性別を負い目に感じていたんです。
男性、女性ではなく、常に野球選手として見てほしいと言いながら、自分が一番自分の性別を負い目に感じていたんです。
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