こうした「届く言葉」について、文学理論や言語学のトピックを用いながら丁寧に解説されているのが本書。「アナグラム」、「エリクチュール」、「リーダビリティ」など、なんだか難しそうな用語がお題としてたくさん出てきますが、さすがは“内田節”といったわかりやすさでかみ砕いて説明してくれています。筆者が得意とする村上春樹の話をはじめ、ある本との出会いが「届く言葉」の原体験となったという著者自身の経験や、金星に行った「はやぶさ」制作に携わった研究者の優れた説明力など、身近に感じられる事例もふんだんに出てくるので、「なるほど」と納得しながら読み進めることができるでしょう。
また、大勢の大学生に向けた当時の講義を再現する形で話が進んでいくので、まるで自分も授業を聞いているかのような気分になり、ぐいぐいと引き込まれていきます。なぜそのような臨場感が伝わってくるのかと言えば、この講義がまさに著者が「これだけは伝えたい」という必死さをもって語ったものだからでしょう。この講義は、実は著者にとって30年に及ぶ教師生活最後の授業でした。学生だけでなく、学外からの聴講者や同僚も駆けつけ、教室は人でぎっしり埋め尽くされていたそうです。「最高のパフォーマンスをお見せせねば」という、おのずと熱の入る状況にあったのです。
読み手に対する「愛」はあるか?
就活生の皆さんも、選考過程は最高のパフォーマンスをお見せしないといけない舞台となるわけですが、ご自身が書いた自己PRや志望動機を本書の観点から改めてご覧になってみてはいかがでしょうか。そこには読み手に対する敬意や愛がありますか? 著者が語るような「必死さ」や「切迫」はありますか?
著者は、職業柄、多くの学生のレポートを読むそうですが、読むに堪える文章を書ける人は、100人中、2~3人だとか。それは、日本の教育システムに原因があるようです。日本では、受験を突破するための技術として作文指導が行われており、「どう書けば合格点をもらうことができるか」に力点が置かれています。
こうした教育の下では、「みんなこの程度のことを書いているのだろうから、このくらいでみんなと同じレベルで、さらに自分は誤字・脱字も少ないし、ちょいとこじゃれたフレーズも入れておいたから、少し割増で80点くらい?」という、手抜きの文章を書くようになりがちです。
まさに敬意を欠いた「読み手を見下す」態度が育まれてしまうわけですが、こうした態度を続けていると、文章においてだけでなく、人とのコミュニケーションにおいても言葉が届かないという事態に陥ってしまうでしょう。就活でいえば、面接でうまくいかないということです。
本書は、特に「手抜きの文章ばかり書いてきたな」と思う人や、文章をうまく正確に書くといったテクニックにとらわれ過ぎている人に役立ちそうです。また、自分は何をいちばん伝えたいのかを確かめるきっかけにもなるので、差別化を図ろうと妙に話を盛ろうとしたり、インパクトのあるエピソード探しに焦ったりしている人にもお勧め。どうか就活マニュアルに翻弄されず、本書に書かれているような「情理を尽くす」心についても、今一度、考えていただけたらと思います。
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