そして今では、ひとりの人物がどれだけ「有名」かを、フォロワーの数、閲覧者や視聴者の数、その人がすることについた「いいね」の数で判断できるようになったが、そうした数字が大きくなるにつれて、そのセレブリティの発言がより重要だと思ってしまう危険がある。
「フォロワーが多いのだから、真実がいっぱい詰まっているにちがいない」――そうした考えは、ソーシャルメディアのフォロワーを買うことができるという事実によって、ますます不快なものになる。
何千人もの人たちが抗議したはずなのに
同じように、一種の「数字精神症」から生じる抗議行動もある。
それは、自分自身で考えたからではなく、とてもたくさんの他の人たちがその問題を重要だと思っているようだからという理由で、その方向に引きずられるものだ。
チョコレートの詰め合わせの箱「アラジン」からプラリネチョコレート「トリリンナット」の姿が消えたときのことは、よく覚えている。オンラインで反応した何千人もの人たちの悲鳴にも似た抗議の声を、新聞が伝えたからだ。
チョコレートメーカーが「トリリンナット」を詰め合わせから除外することにしたのは、他のプラリネチョコレートより製造原価がはるかに高かったからだが、その声を聞いて単独の商品として販売することを決めた。
だが残念なことに、実際に買う人はとても少ないことがわかり、まもなく販売をあきらめざるを得なくなった。あの抗議の声については、何も言うことはなさそうだ(ミカエル)。
(翻訳:西田美緒子)
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら