本物のニュースと偽物のニュースに「いいね」がほとんどついていなければ、それらを見分けるのに同じような問題は起きない。
さらにばかげているのは、投稿を実際にクリックしたり読んだりしないで「いいね」を押したりコメントしたりする人が、ごく普通にいることだ。
それならば、人々が影響を受ける「いいね」は本物である必要もなく、実際、数字が必ずしも「いいね」の形をとらなくても影響を受けている。閲覧数で十分だ。
私たちはある実験で、架空の人物に関する肯定的な投稿と否定的な投稿を被検者に見せ、それぞれに閲覧数を20または2000とする数字をつけた。
すると、肯定的な投稿を読んだ被検者は、投稿の閲覧数に20より2000を目にした場合のほうが、この架空の人物をより肯定的に受け入れた。
同じく、否定的な投稿を読んだ被検者は、閲覧数が100倍と知った場合のほうが、この架空の人物をより否定的にとらえた。
それにもかかわらず、大きい数を目にした人も小さい数を目にした人と同じように、その投稿を他の何人が読んだかには影響されていないと確信していた(それどころか、他の人が数字に影響されたと確信する傾向が強くなった)。
論文の引用回数は研究の重要度を示す?
数年前から、学術論文が他の研究者によって引用された回数を見ることができるようになった。
その意図は立派なもので、どの論文が「洗練」されていて(とてもよい言い方だ)、継続的な研究にどれだけ重要な貢献をしたかを、研究者たちに伝える役割を果たしている。
またその数字は自らを強化する力ももっていて、大きければ大きいほど、より多くの研究者がその論文を選んで読む(そして引用する)から、さらに大きくなっていく。
論文の引用回数は、研究者が職につく際や昇進する際にも、その人の研究がどれだけ重要で強力かの指標として計算に入れられる。