元米任天堂社長と岩田聡氏との知られざる友情 病室で話した任天堂の将来を左右するゲーム機

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この3月の予期せぬ旅について、私は岩田氏にもう少し詳しい理由を聞いたが、彼の返事は曖昧だった。彼が私に訪ねてきてほしいと言った日は、妻のステイシーと祝う私の誕生日とぶつかってしまうのだが、それを言ったところで聞く耳を持たないだろう。3日間だけ特別に京都に来てほしいと言って聞かなかった。

午前8時半に来てほしいというのも変だ。彼はいつも9時に仕事を始めるのだが、それより前に会うとなると、任天堂株式会社の本社に入るのは少し難しい。ガラスとコンクリートの外面に覆われ、大理石の入り口がある本社ビルは、冷ややかで無機質に感じられる。

特に私が到着した早い時間はそうだ。日本の会社はどこもそうだが、任天堂もほとんどの社員に対して厳密な勤務時間を課している。仕事の始まりを告げるチャイムが鳴り、ランチ休憩の始まりと終わりを告げる際も鳴る。だが仕事の終わりを告げるチャイムは聞いた記憶がない。スタッフに帰宅するよう促す必要はないと、会社は考えているのかもしれない。

幸い、岩田氏のアシスタントが早めにオフィスに到着して私を待っていて、扉を開け、エレベーターに案内してくれた。7階の重役エリアに行くには、専用のエレベーターしか使えず、早朝の時間はカードキーが必要だった。

アメリカから呼ばれた理由

私は小さな会議室に案内された。小さいといっても滞在中に私が使用するオフィスの2倍の広さはあるだろう。私はコートを脱いでWi-Fiシステムにログインした。

任天堂はセキュリティが厳重だから、重役の私でも、訪れるたびにログインとパスワードの紙をもらう。私はいつも早めに着いたら、最初のミーティングを始める前に、ちゃんとWi-Fiに接続しているかを確認することにしている。

8時半ぴったりに岩田氏のアシスタントが来て、彼の部屋に通された。このとき岩田氏は社長の在任期間が10年を優に超えていたが、先代の3人が使っていた正式な大きな社長室に移ることはなかった。

彼が好んだのは、12人を収容できるくらいの長方形の会議室の上座に机が置かれた、もっとシンプルな部屋だ。他にもプレゼンテーションや開発中のビデオゲームを見たりするために、2台の大きなテレビスクリーンが置かれ、キャビネットは本やビデオゲーム、ゲームのアクセサリーやコントローラーであふれている。会社の社長室というよりは、ゲームクリエイターの部屋と言ったほうがいい。

いつもの挨拶を済ませて、岩田氏から座るように言われて、私は彼の顔をじっと見つめた。それから彼はなぜ今回の出張にこだわったのかを話した。「レジー」と彼は切り出した。

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