なぜ人々は21世紀に一段と結婚しなくなったのか それは近代資本主義がもたらした必然的な帰結

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暇な日常ではどうなるか。さびしくなるのである。この暇と寂しさを紛らわせる消費が、日常的な暇つぶし、寂しさを紛らせる「ケ」の消費、現代の消費の大部分となるのである。

そして、日常的だから予算制約がある。カネもかからず、日常的に暇がつぶせる、必需品ではない、ぜいたく品。これに対する最有力候補が「結婚」であったのである。

恋愛は「ハレ」だ。激しい恋愛は寂しさを忘れさせる。しかし、その後はさらなる寂しさが訪れる。持続可能で、安定的で、帰る家があり、温め合う人がある。結婚は寂しさを紛らわせる最有力選択肢となったのである。19世紀に義務だった結婚が20世紀になり、必需品からぜいたく品、選択するものになり、寂しさを紛らわせる最有力選択肢となったのである。

なぜ結婚は21世紀に魅力を失ったのか

さて、この結婚が21世紀に魅力を失ったのはなぜか。結婚という選択肢を取らなくなったのはなぜか。

それは、21世紀には日常的に寂しさを紛らわせる消費手段が多数登場したからである。スマホをいじっているのは寂しさを紛らわせるため。SNSはもちろんそうだし、動画も暇つぶしで寂しさも一時的に忘れる。ゲームはその最高の手段だ。伝統的には酒もそうだし、麻薬も、ギャンブルもそうかもしれない。ギャンブルにはまった水原一平さんは、いけないことだが、きっと寂しかったのではないか、と個人的には想像している。

酒、麻薬、ギャンブルは、中毒性があり、禁止されている。一方、テレビ、スマホ、SNS、動画、ゲームも時間制限が必要だという議論があるのは、中毒性があるからだが、もはや若い世代には普通の日常として、社会的に後ろめたいことではなく、普通に趣味はゲームといえる社会になっている。

そうなのだ。結婚しなくなったのは、スマホとゲームがあるからなのだ。「ハレ」のエンターテイメント財と違って、費用は予算に応じて調節できる。日常的な「ケ」のエンタメ財の登場、発展、成熟、社会的受容により、世の中にあふれるエンタメ消費財が、結婚という「財」の代替的手段として選ばれるようになったために、21世紀の婚姻率は低下したのである。

そして、このエンタメ財の発達こそ、近代資本主義の最終局面の特徴である。ゆえに、婚姻率の低下は資本主義発展の当然の帰結であるといえるのだ。

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