「ソロ活」の心地よさの先にある自由と社会的孤立 若者の孤立を防ぐ立場から見たシングルと役割

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ここにも大いに共感するところです。1983年生まれの僕は地域活動や集団行動などを嫌い、いつも「ソロ活」を理想的な状態だと夢見ていました。

ファミコンの発売と東京ディズニーランドの開園の年に生まれた僕は、一方で物心がついたころにはバブルは崩壊していました。いつのまにか世の中では自己責任論が飛び交い、この厳しい世の中を勝ち抜くためには何事も自分一人でできるようにならねばならない。このような言説がドラマや漫画、ゲームなどによって振りまかれてきましたし、それを当然のことと思って過ごしてきました。

その証拠にみるみるうちに隣近所の付き合いは減り、みんなが自己利益を追求することが当然だとされる文化が醸成されていきました。テレビやゲーム機も一家に一台から一人一台へ。携帯電話やパソコン、ウォークマンなどの発展が拍車をかけました。体感として、凄まじいスピードで一人になれる時間が増えていきました。

しかし僕はその時間が心地よかったことを覚えています。

「自助努力と自己責任の物語」は本当か

さらに酒井は、約2500名のミドル期シングルの人びとの休日の過ごし方を調査した結果、5割を超える人びとが家でひとりで過ごしていると答えたことを報告しています。そしてこのようなタイプの人びとには、以下のような傾向がみられるといいます。

(前略)低学歴、低年収、無業、非東京区部出身者、友人・知人が少ない、電話やインターネットでも交流していない、サポートネットワークが弱く、精神的にも身体的にもあまり良くない傾向があるなど、列挙すれば、社会的に望ましいとされることはなく、この点ではシングルの「役割のない個人」として生きる負の側面が強く出ているといえます。
(中略)すべてがそうしたシングルであるわけでなく、「おこもり型」の中にも多様性はあるでしょう。ただ、社会的に孤立している、その傾向のある人が、一定数含まれており、孤立している、または孤立するリスクが高いタイプであるといえます。(前掲書、218-219頁)。

ここから分かることは、シングルであることに自由と孤立の両面が含まれることです。

さらに重要なことは、僕たちはこのライフスタイルを「自分で選んでいる」と思い込まされてはいないだろうか、という問いです。つまり、自分が今いる境遇は自分で選んだものであり、自己責任であるということ。本来ならチャレンジすることもできたのにしなかった、もしくはチャレンジして失敗したのだから自己責任であるということです。

一方で成功した人(有名だったり、経済的な富を得ていたりする)は自助努力によって自己実現を果たしたのだという物語が語られます。

しかしそれは本当なのでしょうか。

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