何でもあり、小田原のバチカンが示す国の新しい形 正解がないからこそ、無数のチャレンジができる

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付き合いで顔を出してみると、会は壊滅の危機に瀕していた。うちの長男、長女を含めても、あと1、2年で会員は5人前後に減りますよ、解散しないといけないかも、という話も聞こえてきた。当時、そんな子ども会が、私たちの暮らしを変えることになろうとは、知る由もなかった。

始まりは、近所で造園業を営む園田健さんとの出会いだった。私たちは荒れ放題の庭の管理に困っていた。知り合いなら安くしてもらえそう、そんな軽いノリで彼に手入れを頼むことにした。

職人を絵に描いたようなソノケンさんは、10時、12時、15時にキッチリと休憩をとる。最初はお茶を飲みながら話す程度だったが、だんだん距離が近づいてきた。一緒にお酒を飲んだりもするようになった。ある手入れの日のこと。ソノケンさんは私にこう切り出した。

「今度、青年部の部会やるんで、井手さんも来てみませんか?」

彼は青年部の部長だった。断ると悪いし、義理もある。まあ、一度くらいは顔を出してみるか、またもや軽い気持ちで部会に参加してみることにした。

「この地区は小田原のバチカンなんですよ」

会合はものの20〜30分で終わったが、みんなのお楽しみは、その後の飲み会のようだった。健康診断の数値が悪く、禁酒していたタイミングだったが、酒は嫌いじゃない。「井手さんの歓迎会だから」の一言を待つまでもなく、私は集まりに加わることにした。

向かいに座ったのは神永勉さんだった。彼は、小田原愛、地域愛のかたまりのような人で、初対面でしらふの私に、2時間以上も地区の歴史、素晴らしさを語り続けた。だいぶ聞き疲れていたが、そんな私にとどめを刺すかのように彼はこう言った。

「要するにこの地区は何でもあり。<小田原のバチカン>なんですよ!」

勉さんは、自分の地区を、市のなかにある独立国家になぞらえたのだった。彼の話はほとんど忘れたが、この一言だけは心に刺さった。何でもありなのね……そう心でつぶやきながら。

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