堀内:丸山さんはNHK番組のプロデューサーとして、その名も「爆笑問題のニッポンの教養」をはじめとして、「ニッポンのジレンマ」や「欲望の資本主義」シリーズ、さらに現在放送中の「世界サブカルチャー史 欲望の系譜」など、教養的な番組を多く手掛けてこられました。とくにブレークしたのは「欲望の資本主義」シリーズかと思いますが、なぜこれらの番組を世に出そうと思われたのか、背景にある問題意識などについてお話しいただけますでしょうか。
丸山:どの企画も決して最初から形が見えていたというわけでもなく、時代や社会とどう線を結び、テーマを表現するか? 映像を通して試行錯誤し、問いと仮説を投げかける精神が、それぞれの形をとったということだと思います。映像という装置をいかにして「思考するツール」とできるか? 視聴者の皆さんといかに時代や社会を共に考えるフレームを共有できるか?という問題意識が常にありました。それがたまたま、聖俗硬軟さまざまな表現をとり、報道、ドラマ、科学……といったジャンルに収まりきらないものになっていったと言えるのかもしれません。
着想の原点にある教養ラジオ的思考
堀内:実は、私の身内がNHKに勤めていました。また大学時代のクラスメイトがNHKの解説委員長を務めたりと、個人的にはNHKに対してとても親近感があるのでなかなか言いにくいのですが、NHKの番組というのはどうしても教科書的で、予定調和と言うか、起承転結がしっかりし過ぎていて面白みに欠けるものが多い印象があります。
そういう中で、いかにして教科書的ではない「欲望の資本主義」のような番組が生み出されたのか。そのあたりを教えていただければと思うんですけど。そもそも、このシリーズが始まった頃に資本主義を題材に番組を作るということ自体、かなりの冒険だったのではないかと思いますが。
丸山:それは単に僕の目的に向かって直線的には進めないアマノジャクな癖と、怖いもの知らずの妄想家ゆえからかもしれません(笑)。「欲望の資本主義」にしても、資本主義が主題であるという以前に、自分が何を欲しているのかわからなくなっているのが現代の人間だとしたら、という着想から始まっていますし。
大学時代も就職活動を前に、新卒一括採用、年功序列、終身雇用などを特徴とする日本的な大企業の論理の中で勤め上げられるか不安を感じていたようなタイプで、「いい学校」「いい会社」というルートに乗っていくことを目指す人生が正解と見做される世の中への違和感があったんですね。
メディアへの志望も、そうした意識が背景にありました。新人でも小さなコーナーの演出をしたり、わずかなスペースでも自分で記事が書けたりと、なんとか表現の試行錯誤をする場を持てるのではないかという期待からの志望でした。自らの問題意識と社会の課題との間に連続性を見出せる場を探し続けていました。今にして思えば、メディアに限らずさまざまな世界にそうした場もあったのかもしれませんが、いずれにせよ、仕事を通して感じ考え、物事の本質に迫る喜びをエネルギーにしたかったのです。