光君が「まだ年端もいかぬ少女」の虜になった事情 「源氏物語」を角田光代の現代訳で読む・若紫②

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生(お)ひ立たむありかも知らぬ若草をおくらす露ぞ消えむそらなき
(これからどうやって育っていくかもわからない若草のようなこの子を残しては、露のような身の私は消えようにも消える空がありません)

尼君が詠むのを聞いて、そばにいた女房が「本当に」と泣き、

初草(はつくさ)の生(お)ひゆく末(すゑ)も知らぬまにいかでか露の消えむとすらむ
(萌(も)えはじめたばかりの若草のような姫君のこれから先もわからないうちに、どうして露が先に消えることなどお考えなのでしょう)

と詠む。そこへ僧都(そうず)があらわれて、

「こちらは人目につきましょう。今日に限って端のお部屋においでなのですね。ここの上の聖の坊に、源氏の中将殿がわらわ病のまじないにおいでになっておられるのを、たった今耳にしました。たいそうなお忍びでしたので、存じませんで、ここにおりながらお見舞いにも参上いたしませんでした」と言う。

「まあ、たいへん。見苦しいところをどなたかに見られてしまったかしら」と、尼君は簾を下ろした。

ともに暮らせたなら

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「世間で評判になっていらっしゃる光源氏の君を、この機会に拝見されたらいかがですか。俗世を捨てた法師にとっても、この世の悩みごとも忘れ、寿命も延びるかと思うほどのおうつくしさです。さて、ご挨拶に参りましょう」

と言って立ち上がる気配がするので、光君は急いでその場を離れる。なんと心惹(こころひ)かれる人を目にしたことだろう。こういうことがあるから、好色な連中はあちこち出歩いては、意外な女をうまく見つけ出すというわけか。たまにこうして出かけただけでも、思いがけないことに出会うのだから……と、光君はおもしろく思う。それにしても、なんとかわいらしい女童だったろう。どういう素性の人なのか。あのお方の御身代わりにともに暮らしたら、明けても暮れても気持ちがなぐさめられるだろう、という思いに深く取りつかれた。

光君が聖の坊で横になっていると、僧都の弟子が惟光を呼び出した。狭いところなので、会話は光君の耳にも届いた。

「こちらにいらっしゃっているとつい今しがた人から聞きました。何はともあれご挨拶に参るべきでございましたが、拙僧がこの寺にこもっておりますことをご存じでいらっしゃりながら、ご内密になさいましたので、何かわけがおありなのかと差し控えました。旅先のお宿もこちらに用意いたしましたのに。残念でございます」と弟子は言う。

「それが、今月の十日過ぎあたりからわらわ病を患ってしまって、度重なる発作にこらえかねて、人に教えてもらうままにこの山奥までやってきました。このように高名な聖ほどのお方が、もし祈禱の効き目もあらわさなかったら、世間体の悪さも並の行者以上だろうと憚(はばか)られまして、内密にしたのです。そのうちそちらにも伺います」と、光君は惟光を通じて答えた。

次の話を読む:周囲の人々を戸惑わせた、光君の「大胆な申し出」

*小見出しなどはWeb掲載のために加えたものです

角田 光代 小説家

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かくた みつよ / Kakuta Mitsuyo

1967年生まれ。90年「幸福な遊戯」で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。著書に『対岸の彼女』(直木賞)、『八日目の蝉』(中央公論文芸賞)など。『源氏物語』の現代語訳で読売文学賞受賞。

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