メタボは自然界では想定されていない--『生物学的文明論』を書いた本川達雄氏(東京工業大学大学院生命理工学研究科教授)に聞く
ロングセラー『ゾウの時間 ネズミの時間』の著者が、技術と便利さを追求する数学・物理学的発想ではなく、生物学的発想で現代社会を見つめ直す。
──「四角い文明」に異議を唱えています。
人間社会には四角くて硬い物があふれている。ぶつかれば痛いものばかりに囲まれている。しかし、自然はそうでもない。生物は基本的に丸い。角はない。ふわぁっとして柔らかい物が多い。これだけ自然にはない四角い物に囲まれていたら、精神的におかしくなってしまう。それで、ペットがかわいがられるのかもしれない。
なぜ人工物には角があって硬いのか。それは、柔らかい自然を切り裂くためだ。刀や包丁ばかりでなく、自然を切り裂くためのものが「技術」といわれてきた。有史以来を振り返っても旧石器、新石器、青銅器、鉄器時代と、文明の分け方は硬いとがった材料で分けられる。自然をいかに効率よく切り裂くかが文明の進展だった。それが、今頃になって自然に優しく、人に優しくなどと言い始めている。技術は自然を有効に切り裂くためのものなのだから、生物の立場から見ると、技術は敵になる。
──敵ですか。
生物には環境適合性がある。今住んでいる環境が技術によって破壊されたら、生きていけない。技術は自然を人間にとって有効に切り裂くものだから、ある意味でほかの生物にとっては無慈悲な敵となる。
──現代は、生物多様性がことさらいわれます。
それも、生物を自分たちにとって役に立つかどうかで判断している。役に立たないのはいなくていい、役に立つから大事にしないといけないと。しかし、世の中には人間の役に立たないような生物はいっぱいいる。それらを含めて生態系があるのであって、役に立つという視点はかえって生物多様性の障害になる。
今の世の中、役に立つとか好きだとか、言いすぎていないか。これは、それ以外のものはなくていいという排除に結び付いていく。人間の役に立つものだけで構成した人工環境は、もちろん生態系としては極めてもろい。