メタボは自然界では想定されていない--『生物学的文明論』を書いた本川達雄氏(東京工業大学大学院生命理工学研究科教授)に聞く
──好きを尊重する風潮があります。
過度だと思って「好き好き至上主義」と命名している。子どもに対しても、自分の好きなことをやるのが自己実現だとし、好きなことをやりなさいと仕向けるのがはやりだ。嫌いだと思っていたものでも、付き合ってみれば気づかなかった別の面が見えてくるものだ。当座役に立たなくても、すぐには選別せず、トータルで付き合うのが大事であることは、生物が教えてくれている。寄生虫を駆除したからアレルギーやアトピーがはやり、過度の「きれい社会」が未知の菌の跳梁(ちょうりょう)を許して、新たな食中毒の原因になったりしているのかもしれない。人間の都合と社会の安定性は別問題だ。
──食べ物にも偏りがあります。
人間のメタボは自然界では想定されていない。今ほどに食べ物が豊かにあることはありえなかった。だから人体は、食べ物が足りないことを想定して、血糖値を上げるホルモンはいくつも分泌されるようになっている。ところが、下げるホルモンはインシュリン一つだけしかない。体自体は、糖尿病が国民病になるなどと考えていないつくりになっている。
今や飽食ぶりは極まった。カネを出せば買えると、内外から食料をかき集め、24時間提供している。そして、賞味期限が来れば廃棄する。たとえば、1膳分のご飯を作るのに、実は風呂おけ2杯半の水が必要なのに、やすやすと捨てもする。今のような状況は、便利といいつつ、不幸せなことをやっているのかもしれない。
いつでもどこでも好きなことをやることが自己実現ではない。好きなことができるのは、エネルギーや水が無制限に使えると思っているからだ。
──資源不足として、水にも焦点を当てていますね。
生物をつくっている材料はほとんどが水。生物の世界は丸くて湿っていて柔らかいものが大勢だ。皮という膜で包まれて、中に水がチャポチャポ入っている。基本的に水っぽければ、化学反応が起こりやすい。それだ、生物では化学反応が活発に起こる。
その水が世界で足りない。コンビニ弁当を捨てれば、大量の水を捨てていることにもなる。日本のように雨のよく降る国が、水がないと困っている国から食料を輸入して、結局浪費しているとすれば、道義上も許されない。自国の水を遊ばせておくとすれば、犯罪行為とさえいえる。水が生物の根源であることから見てもおかしいあり方だ。