市場の「見えざる手」による企業の監視は有効か? 企業はなぜ存在し、社会をどう変えてきたのか

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これにより企業のあり方は一変した。企業の株式を持つがその経営には携わらない資本家階級が出現したことで、経済の中に、独自の論理と手法を有する新しい勢力が生まれたのだ。

資本家たちが気にかけたのは、たいていは給与や長期的な企業の成功よりも配当や株価のほうだった。このことは必ずしも企業にいい影響を及ぼさなかった。また、新手の詐欺を招くことにもなった。資本家は自分が株を持っている企業の評判を変えることで、株価を操作して、富を増やせたからだ。

例えば、東インド会社の有名な株主だったサー・ジョサイア・チャイルドは、インドで戦争が始まったというデマを流して、その株価を下落させた。そしてまんまと安値で株を大量に買い取ることに成功した。このような市場操作のせいで、株式市場や未熟な投資家の懐は数世紀にわたって損なわれ続けてきた。

「見えざる手」による監視

このような資本主義制度の台頭をどう評価するべきなのだろうか。アダム・スミスは、最終的には最善の結果をもたらすものだと考えていた。『国富論』の中で市場は「見えざる手」の監視下にあると論じられているのは有名だ。

利己的な個人がそれぞれ自分の利益ばかりを追求しても、「見えざる手」の調整機能が働いて、結果的には社会全体の利益が促進されることになるという。

「見えざる手」が具体的にどう働くかは明らかではないが、それはおおむね需要と供給の関係にもとづくものだった。つまり、企業どうしが市場の需要に従って競争すれば、おのずと社会に必要な財やサービスが手頃な値段で供給されるようになるという理屈だ。

この資本主義の「見えざる手」という考え方は、以来、世界じゅうの経済学者や、政治家や、経営者を魅了し続けてきた。大統領選挙の公約にも、国の政策にも、シンクタンクの白書にも取り入れられている。

「市場に問題の解決を委ねよ」、「市場を基盤とする取り組みが求められる」、「民営化すべきだ」等々、日常的に耳にする言葉にも、その残響が感じられる。

経済学者ミルトン・フリードマンが次のように結論づけたのも、「見えざる手」という考え方に導かれてのことだ。「企業の社会的な責任はひとつしかない。それはゲームのルール内で、利益の増大を目的とした活動に資源を振り向け、取り組むことである」。世界にこれほどまで大きな影響を及ぼしている経済理論はめずらしい。

一方で、「見えざる手」がほんとうにそんなによいものなのか、あるいはそもそも存在するのかについて、疑問を投げかける識者も少なくない。世界に災いを招くものとして、何百年にもわたって世の中から非難されてきた歴史が企業にはある。

(翻訳:黒輪篤嗣)

ウィリアム・マグヌソン テキサスA&Mロースクール教授

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William Magnuson

テキサスA&Mロースクールの教授で企業法を教えている。以前はハーバード大学で法律を教えていた。著書にBlockchain Democracy(未訳)がある。ウォール・ストリート・ジャーナルやワシントン・ポスト、ロサンゼルス・タイムズ、ブルームバーグに寄稿している。テキサス州オースティン在住。

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