家族社会学者が語る「多様化する結婚のカタチ」 今や「個人化の時代」で「選び」続ける人生に

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このように、「結婚」の内実は多様化してきており、夫婦(カップル・パートナー)が選べる「選択肢」が増えているのが今の時代です。言い換えれば、個々人が、極めて多様な人生の選択肢から、「自分の人生」を選び取らなくてはならなくなった時代だとも言えるのです。

大学(短大・高校)を卒業して、就職・結婚・家庭生活・定年退職・定年後の生活と、一種のベルトコンベアのような「人生」に流れていけばよかった時代から、進学も就職も結婚生活すらも多様になった時代へ。

人々は常に「選び」続けなくてはならなくなりました。待っていても「結婚」は訪れず、積極的に友人に紹介を頼んだり、婚活パーティに参加したり、結婚相談所に登録しなくてはならなくなりました。

結婚後も、「寿退社して主婦業に専念」がデフォルトでなくなった以上、「子どもを持つのか(持たないのか)」「仕事は辞めるのか(辞めないのか)」「子どもは1人なのか(複数なのか)」「結婚生活を続けるのか(離婚するのか)」など、人生の各ステージで常に「選択」が待ち構えており、自分の意思で選び取らなくてはならなくなったのです。

婚姻率と離婚率の変化
(画像:『パラサイト難婚社会』)

これを「個人化の時代」と定義することができます。

「個人の自由」はストレスにもなる

「個人化」とは、人々の個人主義が極まった、ワガママな状態とは異なります。社会学で言うところの「個人化」とは、あらゆる物事(結婚するかしないか、離婚するかしないか、卒婚するかしないかなど)について、「選択が個人に委ねられた状態」のことです。

地域コミュニティや親戚が「あなたはこの人と結婚しなさい」と強制したりする(あるいは、勧めてくれる)こともなく、結婚しようが、未婚だろうが、離婚しようが、社会的サンクション(制裁)が下りるわけではない。

あらゆることが「個人の意思」に委ねられた結果、人々は「自分で選ばなくてはならない」状態に恒常的に晒されるようになったのです。それは一見、喜ばしいことのように思えますが、実はかなりの心的ストレスを生じさせることも明らかになっています。

例えば、自分が同性愛者であることをカミングアウトするかしないかも、現代社会では「個人の選択」に委ねられます。半世紀ほど前は、欧米では「病気」や「犯罪」として取り締まる状況もあったので、「隠し通す」面がありました。

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