「6浪が理由で就活惨敗」追い詰められた彼の顛末 どん底だった20代、32歳で長年の夢をかなえた

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父親は大企業に勤めていたものの、姉と兄が1人ずついたことで教育費がかかったこと、東京でマンションを購入して住宅ローンを抱えていたこともあり「すごく裕福だった感じはない」と語る海洋さんは、普通の公立小学校に通っていたそうです。

小学校時代の成績は、中学受験を経験した姉と兄には負けていたものの、男子20人のうちで3位と好成績だったようです。

小6で身長がすでに170cmあった海洋さんは、スポーツも万能。進学した公立中学校では、240人中10位以内と上位の成績をキープしながら、バスケットボールに打ち込む生活を送ります。

「荒れた学校だったのですが、人懐っこいところがあったためか、いびられることもなく、平穏に中学生活を送れました。中3のときには、周囲に推薦してもらって生徒会長になりましたし、バスケで高校の推薦ももらっていました」

MARCHの付属校からスカウトされたが…

海洋さんは中学2年春に身長181cm。周囲と比べてひときわ大きかった彼は、「伝説の巨人」と言われていたそうです。

その体型を武器に区のバスケ選抜に選ばれていた彼は、MARCH(明治大、青山学院大、立教大、中央大、法政大)の付属校からスカウトされ、「将来はバスケットボールで実業団に入ろう」と考えていたそうです。しかし、順風満帆だった彼の人生を左右する出来事が起こります。

「高校進学後のことも考えて、引退してからも部活に出続けていたのですが、夏休み明けに膝を大怪我して、松葉杖が必要になってしまったんです。それで、推薦先の学校の監督が来て、『中学のときに膝をやったらもう(選手生命が)ダメになるから、今回の話はなかったことにしてください』と言われました」

中学3年の2学期に入って早々、奈落の底に突き落とされた海洋さんは、慌てて高校受験向けの通信教育を開始しました。

「週の半分は徹夜しながら勉強した」という彼はひたすら暗記科目を詰め込み、生徒会長で内申点も高かったことから、学区内の都立進学校を受験して合格しました。自分の力で軌道修正を図った彼でしたが、またしても思わぬ事態が起きます。

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