都立進学校に入学した彼は、膝が完治したと思ったこともあり、バスケ部に入ります。
「選手層が厚くない都立高校の部活なら、バスケを続けることができると思っていました。結果、入部してすぐにレギュラーになれたのですが、やっぱり治ってなかったですね。ゴールデンウィーク明けにまた膝をやってしまい、入院することになりました」
この入院が、本格的に彼の歯車を狂わせます。
「手術のために3週間くらい学校を休んだことで、授業についていけなくなってしまいました。入院期間に高校数学のコアとなる一次関数の授業が始まっていたのですが、その授業に出れず、関数のことを理解できなかったので、さっぱりわからなくなってしまいました」
理系の進路を考えていた海洋さんにとっては、数学初期の単元で理解ができないことは致命的でした。当時はまだ丁寧に数学の解説をしてくれるアプリもYouTubeチャンネルも何もない時代。優等生だった彼は一気に劣等生になってしまいました。
できる子から、できない子に転落
「授業が苦痛で仕方なくなり、ほかの科目もやる気がなくなりました。今までは『できる子』という扱いを受けていた自分が、最下位から3番目の『できない子』集団に入ってしまったのです。中学でプライドが高く、天狗になっていたから余計やる気がなくなりましたね……」
「勉強ができなかった思い出と、バスケ部の思い出しかない」と語る海洋さん。高校3年間で両膝を計3回怪我したものの、最後は主将でチームをまとめ、東京都ベスト16まで勝ち上がるなど、バスケに明け暮れる生活を送りました。
バスケに打ち込む中で、将来の夢が見つかる貴重な経験もあったそうです。
「部活を頑張りながら、アルバイトで稼いだお金で自動二輪の免許を取得しました。趣味が高じて高校2年生のとき、バスケ部の友達とバイクで北海道に行ったことがあったのですが、これが大きく自分の人生を決定づけるきっかけになりました。
青森から北海道に行くときにフェリーに乗ったのですが、乗船するときにタラップにいた船長さんが挨拶してくださったんです。そのときに、船長さんの着ている制服が格好よかったことと、船旅がとても楽しかったことが印象に残って、船乗りになりたいと思ったんです」
それから船乗りになるために情報を集め始めた海洋さん。航海士になるために大型船の海技免状取得の近道である海洋系大学を目指そうと思い、東京にある海洋系の大学を志望するようになりました。
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