与力は賄賂で大儲け?江戸時代の「不正」驚く実態 都市行政に練達しているからこそ便宜を図られた
御三家や宮門跡が貸主の場合、幕府は債権を強力に保護していた。そのため、御三家や宮門跡の寺院からの要請を受けると、町奉行所は借り主に対して返済を強く督促している。御三家や宮門跡としては、町奉行所の威光をちらつかせることができたのは、きわめて有利だった。
もちろん、与力はタダで動いたわけではない。貸金が無事に回収できると、貸主から手数料として、その1割を贈られた。ただし、その直後ではなく、時期を外した上で、それも時候見舞いという名目で贈られている。回収直後に謝礼として金銭を受け取ることは、さすがに与力も気が引けたのだろう。
そのほか、大名が借財の返済を商人から迫られていた時には、双方の間を取り持って証文を書き替えさせることもみられた。返済期限の延期など、大名に有利な内容に改めさせたのだ。その際も謝礼を受け取ったのは、想像に難くない。
同心が得ていた「袖の下」の中身
大名が付け届けを送ったのは、何も与力だけではない。吟味方与力の配下であった同心も同様だ。しかも佐久間によれば、同心については袖の下を得る方法が、他にもあった。もっともそれは、以下の違法行為や問題行動を見逃す見返りとして、得られるものであった。
・犯罪者から袖の下を受け取って、その罪を見逃す
・遊廓で放蕩する者を取り調べることで、放免を願う親や主人から袖の下を受け取る
・外には知られたくない家庭内のトラブルに介入、解決のための周旋料を受け取る
・酒でトラブルを起こした武士から、内分に済ませるための謝礼を受け取る
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