与力は賄賂で大儲け?江戸時代の「不正」驚く実態 都市行政に練達しているからこそ便宜を図られた

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そのため、都市行政に練達している与力・同心をうまく使いこなせないと、町奉行としての職責は果たせなかった。町奉行の代名詞となっている捕り物や吟味にしても、実際には配下の吟味方(ぎんみかた)与力があたった。

奉行は訴状を読んで、どの与力に担当させるかを決めるだけで、お白洲でも与力が作成した判決文を申し渡すだけだった。町奉行所を動かしていたのは与力・同心なのである。

「賄賂」が収入の半分以上を占めた与力も

そんな町奉行所の実情を踏まえ、諸大名がとりわけ与力への付け届けを欠かさなかったことは、あまり知られていないかもしれない。

一見、大名と町奉行所与力は何の関係もないようにみえるが、大勢の家臣を江戸藩邸に常駐させた大名側としては、家臣が江戸市中で何か問題を起こすことを非常に危惧していた。

市中の評判となり表沙汰になると、大名の名前に傷が付くからだ。その時には、江戸市中の治安にあたる与力・同心の世話になる。大名の名前が表に出ず、一件が穏便に済むよう奔走してもらうため、前もって特定の与力に付け届けしておく必要があった。金品や国元の名産などを贈った。

幕末の頃に与力を務めた佐久間長敬(おさひろ)によると、与力には、老中や若年寄からの付け届けまであったという(佐久間長敬『江戸町奉行事蹟問答』人物往来社)。幕閣を構成する老中・若年寄にしても大名である。家臣たちの不始末により、その名前が表に出ることを懸念したのだろう。

南町奉行所の与力を務めた原家の天保11年(1840)の家計記録によれば、総収入121両余のうち諸大名などから得る収入は63両にも達し、収入の過半を占めた。

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