今度はスープをかけられた「モナリザ」受難の歴史 過去にはケーキやカップを投げられたことも

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年間1000万人を超える来館者を誇るルーブル美術館で、半数は『モナリザ』目的で来館するといわれている人気作品だ。ダ・ヴィンチの人気も高く、2019年10月〜2020年2月に開催されたダ・ヴィンチの「没後500年の特別記念展」の来館者数は110万人と、史上最多の動員を記録した。

当時は黄色いベスト運動の過激なデモが毎週末パリで行われていた。さらに2019年12月からはフランス政府の年金改革に抗議するゼネストが行われ、公共交通機関が1カ月以上機能不全に陥り、ルーブルの職員もストに加わって美術館は何度も閉館した。過去最多の来場者数はそんな中での記録だった。環境活動家は、『モナリザ』の前で抗議を行うことで、世界中から注目を集められると考えたのだろう。

襲撃を受けたのは今回だけではない

『モナ・リザ』が襲撃されたのは今回だけでない。その歴史をたどると受難だらけだ。

そもそも『モナリザ』が世界的に知名度を得るきっかけとなったのは、1911年にイタリアのガラス職人ヴィンチェンツォ・ペルージャによって盗まれたからだった。その年、ペルージャと他の2人は同作品を守るガラス設置作業に参加していた。クローゼットに隠れ、閉館後、当時ダ・ヴィンチのマイナーな作品とみなされていた『モナリザ』を持ち出し、パリのアパートのベッドの下で2年間保管した。

この盗難事件がフランス国内外で報道され、『モナリザ』の消えた展示室を見る人々が集まったという。当時、ピカソも盗難容疑者として浮上した。2年後、イタリアに戻ったペルージャの盗難動機は、ダ・ヴィンチ作品はイタリアにあるべきというものだった。作品の存在を知ったフィレンツェの古美術商が当局に通報し、逮捕された。

1956年、モントーバンのアングル美術館に『モナリザ』が展示されていたときには、来館者が酸をかける事件が発生した。作品は下部に大きな損傷を受けた。この時点でより頑丈なガラスの保護が決定したという。同年、ボリビア人男性が『モナリザ』に石を投げつける事件も起こった。幸運なことに絵はすでにガラスで保護されていたため、ガラスの破片で絵の顔料が1部剥がれたが致命的なダメージを与えることはなかった。

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