今度はスープをかけられた「モナリザ」受難の歴史 過去にはケーキやカップを投げられたことも
ルーブルをめったに離れることのない『モナリザ』だが、アメリカに次いで1974年、東京の国立博物館に展示され、150万人が訪れた。
そのうちの1人だった日本人女性が公開初日にキャンバスに赤いスプレーを吹き付けた。車いすやベビーカーの入場を安全上の理由で拒否したことへの抗議だった。『モナリザ』はガラスで保護されており、ダメージはなかった。
2009年、ロシア人女性が美術館のショップで購入したティーカップをハンドバッグに忍ばせ、『モナリザ』に向かって投げつけたが、損傷はなかった。女性はフランス国籍を与えられないことに憤慨し、行為に及んだとされている。2022年にはパリ近郊に住む男性が障害者の車いすに乗る女性高齢者を装い、クリーム菓子を投げつける事件が発生している。
フィンセント・ファン・ゴッホの『ひまわり』、クロード・モネの『干し草の山』、エドヴァルド・ムンクの『叫び』、ジョン・コンスタブルの『干し草車』と近年、環境活動家によって襲撃された作品は多い。
妥協を許さない完璧主義者だったダ・ヴィンチ
レオナルド・ダ・ヴィンチは晩年、フランス王のフランソワ1世の庇護を受け、フランソワ1世の居城アンボワーズ城近くのクルーの館で過ごし、生涯を終えた。
美術品収集家としても知られるフランソワ1世は、ダ・ヴィンチが持ち歩いていた『モナリザ』を入手しようと何度も懇願したが、ダ・ヴィンチは生涯拒否した話は有名だ。実は妥協を許さない完璧主義者だったダ・ヴィンチは、描いた作品に何度も手を入れ、依頼者に渡さなかったことでも知られる。
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