フランスがこのような態度に出た背景として、ドイツに対する深い恨みがあった。50年ほど前の普仏戦争において、敗北したフランスはプロイセン(ドイツ)に巨額の賠償金を支払わされた。それだけでなく、プロイセンはヴェルサイユ宮殿の鏡の間でドイツ帝国の成立を宣言するという、フランスにとって屈辱的なセレモニーも行った。さらに、第1次世界大戦の西部戦線はフランス国内が主戦場となり、国土をひどく荒廃させられたという事情もあった。
戦争だから仕方ないと言ってしまえばそれまでではあるが、フランスからすれば、ドイツに対して強硬な態度をとりたくなるのは理解できる。またここで力を削いでおかないと、復活したドイツに復讐されるという恐怖もあったかもしれない。
理想主義的な「ウィルソンの14か条」の敗北
一方、ウィルソンの掲げた14か条は、無併合・無賠償など理想主義的な側面をもっていた。ケインズは、ドイツが無条件降伏したのではなく、当初この14か条を前提として講和を要請していたことに注意を喚起している。
イギリスは、フランスほどの感情的恨みはないまでも、兵士の人的被害の面でも戦費支出の面でもこの戦争で大きな打撃を受けており、ドイツに寛大な提案をすることは考えづらかった。そんな中、ケインズは、ヨーロッパは不可分につながっているため、「フランスとイタリアが一時的な勝利の力を濫用し、いまや降伏したドイツとオーストリア=ハンガリー帝国を破壊しようとするなら、フランスとイタリアは自らの破滅をも招くことになる」(4頁)と警告する。「本書での私の狙いは、カルタゴ式の平和は、実務的にも正しくないし、実施可能でもないと示すことだ」(35頁)。
結局、ヴェルサイユ条約ではドイツが支払うべき最終的な賠償額は確定されず、持ち越しになったが、ドイツには交渉すら許されないうえ、かつてない厳しい条件が課されることになった。
この賠償が従来と違うところは、規模もさることながら、ドイツがどうやって必要資金を捻出するかを連合国側が指示できる点である。これはつまりドイツ経済に最も大きな打撃を与えるようなやり方で任意の資産を接収できるということである。
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