さらに1930年代にはドイツは世界屈指の軍事大国にのしあがっているが、それはヴェルサイユ条約が寛容だったからではない(ナチスドイツは賠償金支払いを拒否し、巧みな金融上のからくりにより資金を調達して軍備を拡張し、最終的には戦争に持ち込むことで結果的にそれらも踏み倒した形になるのだが、ここでは立ち入らない)。
愛国心と理想主義の両立
『平和の経済的帰結』との関連で想起される現代の出来事は、2022年2月のロシアによるウクライナ侵攻であろう。2024年に入っても終結の気配をみせず、長期化しているが、この戦争がどのような結末を迎えるか、現時点では想像がつかない。賠償という観点から当時のドイツと比較対象になるのはロシアだが、第1次世界大戦後の対独賠償問題と違って、(NATOなどの間接支援による代理戦争的な側面もあるとはいえ)現状、ロシアとウクライナの二国間の戦争にとどまっており、仕掛けた側であるロシアがウクライナに無条件降伏するような未来は想像できない。
西側諸国による経済制裁も、どれくらい効いているのか不明瞭である。ロシアの資源を必要とする国は少なくないからである。もしどこかで停戦がなされるとすれば、条件はその時の情勢や力関係が反映されたものになるだろう。したがって、『平和の経済的帰結』の議論をそのままあてはめるのは難しい。
この本の価値は、必ずしも現代のケースに一対一であてはめてどういう方策をとるかという直接的な示唆にではなく、もっと根本的な問いにある。
国内が困難な状況に置かれているとき、対外的に強気な姿勢をみせる政治家は支持を得られやすい。自国ファースト、自国中心主義はいつでも一定の支持を得られる。しかし自国中心主義はミクロ的視野からの近視眼的な近隣窮乏化政策にほかならず、たいていは他国による対抗措置を誘発するため、それをめざした国が一方的に利益を得る結果にはなりにくい。敵を多く作ってしまう。かといって、国益を無視してあまりに博愛的・理想主義的なやり方で外国に良い顔ばかりしていては、国民が黙っていないだろう。
ケインズは必ずしも綺麗ごとだけを掲げる聖人君子というわけではなかったし、何よりも愛国者であった。しかしケインズは、狭隘な自国中心主義と違って、世界全体にとっての利益を考慮しながら、イギリスの国益をも同時に追求するという離れ業をやってのけた。困難なことであるが、この姿勢には学ぶべき点があるように思われる。
ケインズの師であったマーシャルは、経済学を志す若者に「冷静な頭脳と温かい心」をもつよう求めた。ドイツを国際社会に復帰させ、ヨーロッパに平穏を取り戻すことがイギリスの国益にもなるという診断は、まさにこの精神を体現しているといえるだろう。
今回の新訳は、ケインズの硬い文章を平明でこなれた日本語に訳してあり、非常に読みやすい。この本はこんなに読みやすい本だったかと驚き、訳者の技量に改めて感服した。ぜひこの機会に手に取って一読していただきたい。
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