日本看取り士会の柴田久美子会長は、旅立った本人と家族が過ごすときを「仲良し時間」と呼ぶ。自分たちが元気で輝いていた頃の思い出を共有し合う場になるからだ。
一方、家族の軌跡には、恨みつらみなど負の感情や思い出がからんでいることも多い。
「ですから、それらの否定的なものまでを互いに許し合う『和解の時間』でもあります。奥様を抱きしめようとされないお父様に、稲熊が何度も声がけをさせていただき、その時間を無事に完成させることができたのではないでしょうか」(柴田会長)
父親と兄弟をつなぎ直すという役割
「まだ元気とは言えませんが、思っていたよりは大丈夫です」
母親の葬儀から約1カ月後、拓也は稲熊に会いに来て伝えた。
「あれから実家で4日間、母と一緒に過ごしたんですが、日々何かにつけて母に触れては、少しずつ冷たくなっていくことを確かめながら、その死を家族それぞれが受け入れることができたような気がします」(拓也)
母親を今見送れている――そんな感覚があった。振り返ると、病院ではけっして望めない大切な時間だったという。
拓也によると、父親は普段から口数少なく、母への感謝を口にしたことはなかった。母親も控えめな人で、父親に不満をぶつけたりすることもなかった。
「僕たちに家族にとっての父は、ずっと『何を考えているのかわからない人』でした。脳出血で倒れた母親を約4年間1人で介護をしてくれたことには感謝していますが、その間に『お母さんにもっとやさしくしてあげてよ』と、僕はじかに何度か言ったりしましたから」(拓也)
だから稲熊に言われるままに母親に膝枕をして抱きしめた父親には、「そんなことをする人だったんだ」という驚きと、「最後の最後に(父に)やってほしかったことだ」という思いが交錯した。
同じ家で過ごした4日間は、父親の言葉が聞こえない程度の距離を時々とり、2人だけの時間を過ごしてもらえるように努めていたという。
「あの場で母に触れて感情を出す機会を逃したら、今度は父が喪失感によるショックで危ないんじゃないか、という心配もありましたから」(拓也)
父親が稲熊に語った話を今回聞けて、拓也も安心することができた。1カ月近くを経て、亡き母親を想う気持ちを父子でつなぎ直す機会になった。稲熊という第三者がいなければ、寡黙な父の本音に息子が触れることもなかっただろう。
言葉にならないやさしい時間が、実家で積み重ねられた4日間でもあった。
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