彼は当初近くの喫茶店で稲熊と会い、看取り士の派遣についてくわしく話を聞くつもりだった。だが、母親の容態急変で家を空けられないと判断し、稲熊に急きょ実家に来てもらうことにした。
稲熊より先に往診に来ていた在宅医は、母親は脱水状態だが、点滴は体調を考えると負担が大きすぎてできないと伝えた。「もはや入院レベルだと思いますが、どうされますか?」と、知子さんの夫(72歳)と、息子たちに尋ねた。
拓也はきっぱりと即答した。「容態がよくなるのなら入院させてもいいですが、とくに今と変わらないなら、母はこの住み慣れた家にいたいと思います」
病院嫌いな彼女が一番幸せを感じられる場所
拓也が断言したのには理由があった。
約4年前に発症した脳出血で手指と下肢にマヒがあって歩行困難だった。自宅に戻る前にできるだけ体を動かせるようにしておく必要があり、母親は病院で約1カ月間リハビリを続けた。その間、母親は病院から拓也に毎日電話をかけてきては、こう繰り返した。
「誰か来てくれないと、こんなところにいたくない、もう耐えられない」
それほど病院嫌いだったのか、と拓也は痛感させられた。
「ですから最期ぐらい、本人が幸せだと感じられる場所で、できるだけ長く過ごしてもらいたい。それは家族に囲まれた実家じゃないかと思いました」(拓也)
母親が亡くなってからのことも彼は考えた。
「コロナ禍の病院で最期を迎えた場合、僕たち家族が母に会えなかったり、会えたとしても指1本触れられなかったりする可能性が高い。それはどうしても避けたかったんです」
拓也がYouTubeで看取りについて調べると、看取り士という存在を知った。家族が抱きしめて看取れることを支え、亡くなってから数日間は自宅で家族と一緒に過ごしてから葬儀を行うことを勧める仕事だと知り、拓也は日本看取り士会に連絡した。
「自分たちができることはありませんか?」
在宅医が帰った後、拓也が看取り士の稲熊に尋ねると、彼女は「他に家族はいますか?」と尋ね返した。次男である拓也の弟(40歳)には妻と2歳の娘がいたが、母親の容態を気にして、その日は弟1人で来ていた。
「時間が許す限り、ご家族の皆さんでお母様に会いに来てあげてください。体調が悪いからと遠慮せず、ここで家族だんらんの時間を過ごしてください」(稲熊)
だが翌日、事態は急変する。
「午前中は母の熱が下がり、意識もはっきりしていて、訪ねてきた弟の娘がはしゃぐ様子を、ベッドからうれしそうに見守っていました。僕たちも(母の体調が)よくなっていくんだと思っていたので油断していて、母がいつ息を引き取ったのかもわからないんです。誰も、その最期に立ち会うことができませんでした」
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