69歳母を看取った兄弟が知った「寡黙な父」の本心 懺悔するような父に寄り添った看取り士の支え

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デイサービスで初詣をしていた母親(写真:佐藤さん提供)

同じ屋根の下にいながら、母親の死に目に立ち会えなかった後悔。拓也は涙ぐみながら自らを責めていた。翌日の夕方6時すぎ、彼からの電話を受けて稲熊が到着すると、先に着いていた主治医が死亡時刻を確認したところだった。口元を悔しそうにゆがめる拓也に稲熊は静かに伝えた。 

「それは違いますよ。お母様はご家族の皆さまに囲まれ、お孫さんの遊ぶ姿も見てその成長を喜ばれ、息子さんたちの会話も聴きながら、とても幸せで安心していらしたと思います。だから、そのときを選ばれて旅立たれたのです。これからが、お母様からのいのちのバトンを受けとるときなんです」

その言葉に、拓也はつらい気持ちを少し救ってもらえた気がした。

「旅立つ人が自分の最期をプロデュースする」

「旅立つ人が自分の最期をプロデュースします。家族は何も心配することなく、旅立つ本人にすべてを委ねて、その体に触れながらそばにいればいいんです」

それは前日、稲熊が看取り士の死生観を伝える中で、拓也もすでに聞かされていたことでもあった。

だが昨日の今日だったから、看取りの作法を練習することもなく、ぶっつけ本番で行うことになった。稲熊からうながされた拓也は母親のベッドに上がった。あぐらをかいて座り、自分の左太ももに横たわる母親の頭をのせて、そっと顔を近づけた。

「母の顔を真上から見下ろしたことも、その体を抱きしめたことも初めてでした。車椅子からトイレの便座に移動する際に、抱きかかえたことはありましたが……。パジャマ姿の母はまだ温かくて、ほっぺたも含めてとても柔らかで、まだ生きているように感じました」(拓也)

それまでは母親の死が近いことを感じ、冷たく硬くなった遺体を想像することが、彼には恐怖だったからだ。

しかし実際には、母親は居眠りでもしているかのような穏やかな表情を浮かべていて、身体にも確かな温もりがあって、拓也の先入観とは正反対だった。弟の2歳の長女も手でその顔に触れるほどだった。

拓也に続いて、次男がベッドに上がって母親を抱きしめた。だが、稲熊が何度勧めても、父親は涙を流しながらそばにはいるが、母親の体に少し手を触れる程度で、同じ部屋にあるソファに1人座ったままだった。

稲熊は頑なな父親に、いつもどこで休んでいたのかを尋ねた。

「隣の和室で布団をしいて寝ている。家内も介護ベッドを使うまでは、こっちの部屋で一緒に寝ていたけどな……」

夫妻が和室で一緒に寝ていたのは、知子さんが脳出血による歩行困難で、要介護状態になる前の話。エレベーター付きの現在の住まいに転居後は、知子さんは介護ベッド、父親は隣室で布団をしいて別々に寝ていた。

それなら母親をそちらの部屋で寝かせてあげましょうと稲熊が提案し、息子たちも同意した。すると父親も少し照れながら、かつ緊張もしながら拓也をまねて、和室に移された母親の後頭部を自身の太ももに載せ、黙ってその体に手を回した。

兄弟も初めて見る父親の姿だった。

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