初の「出戻り総務官僚」が転職→復帰を選んだ本音 処遇に周りの反応…"リスク承知"で戻ってきた

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総務省の平松寛代・番号企画室長
昨秋に総務省に出戻りした平松寛代さん。民間企業で働いて初めて、自分の”持ち味”に気付いたという(記者撮影)
総務省総合通信基盤局で番号企画室長を務める平松寛代さん(46)は現在、5人の部下を持つ管理職として、電話番号の制度整備や運営を担当している。実は平松さんは、民間企業への転職を経て2023年10月に復帰した、総務省初の“出戻り官僚”だ。
2000年に国家I種で郵政省(現・総務省)に入省。入省して間もなく、郵政改革を進めていた小泉政権下で新法の作成業務に携わり、夜中3時に家に帰って5時に起きるような日々を送る。
過酷な若手時代を乗り越えた後は、電波政策やサイバーセキュリティ政策に従事したほか、財務省、在英日本大使館といった省外での勤務も経験。消費者問題を担当した入省6年目の頃には、児童が携帯電話のインターネットを通じた買売春に巻きこまれないようフィルタリングの商慣習を見直すなど、国ならではの仕事も体験した。
周囲からは「エース級」(総務省幹部)と目され、順調にキャリアを積み重ねてきたように見える平松さんだが、2022年6月、管理職の情報流通高度化推進室長を最後に、総務省を退職。オムロンの事業子会社「オムロンソーシアルソリューションズ」に移り、経営戦略や新規事業の立ち上げに携わった。
そしてそれから1年3カ月後、経験者採用の枠で総務省に再び戻ってきた。
なぜ22年続けた官僚を一度辞め、また古巣に戻ることを決断したのか。平松さんに話を聞いた。

お堅い総務省内で“出戻り”が話題に

――平松さんは「出戻り第1号」の総務官僚になりました。総務省では、管理職としての経験者採用も初めてだと聞いています。率直にどう感じていますか。

省内では話題にはなっているみたいで、“第1号”というよりかは、“私が戻ったこと”を誰でも知っているような状態です。ただ、霞が関では初めてではないですし、珍しいですけど、すごいことだとは思っていません。

年次を超えた人事をしている経済産業省などと違って、テレコム(旧郵政系)、旧総務庁、旧自治が統合されてできた総務省は、割と堅い官庁だと思います。そういう意味では私が戻ることについて、いろいろ調整をいただいたのかなと本当にありがたく感じています。

――そもそもなぜ、新卒で官僚という仕事を選ばれたのでしょうか?

官僚になりたいと思ったのは大学生の時です。「国のために仕事をしたい」という思いが1番の本質としてありました。

また一生働きたいと思っていたので、女性が働きやすいという職場では公務員がいいのかなと考え、グローバルに仕事をしたかったこともあり、国を選びました。

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